《せいでん》の機前に虎を捕え得る底《てい》の名外交家ならばいざ知らず、大抵の相手ならばここで大切な用事を思い出したり、天気が怪しくなったり、少く共いずれ又その中《うち》にという言葉を抵当にして、多少先方の心田に不満の種を蒔《ま》いて帰るか、然らずんば先方に機先を制せられて、人間離れのした声で上《かみ》は天堂|下《しも》は地獄まで引きずりまわされて、散々に神経系統を攪乱《こうらん》されて、小便にも行けずに這々《ほうほう》の体で逃げ帰るのが落ちである。
 自分は熟々《つらつら》案じて見るに、こんな連中があとで極端な謡い嫌いになって、到る処この時の経験を吹聴してまわるから、世上に比較的謡曲嫌いが多く、下手謡曲家に捕まるのと鼈《すっぽん》に喰い付かれるのとを同じ位の悪感を以て迎え、謡曲好きの近所に住むのと高架線のガードの下に住まうのとを混同して考えるような事になったのではあるまいかと思う。こう考えて見ると、世上に謡曲亡国論の多いのも無理はない事で、その原因は皆|斯様《かよう》な脅迫的謡曲家が種を蒔いたという事に帰するであろう。於此乎《ここにおいて》斯道《しどう》愛好者は宜しく冷静に熟慮反省して
前へ 次へ
全11ページ中4ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
夢野 久作 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング