付けなくてはならぬと固い決心の臍《ほぞ》を固めたらしいのです。そうして、あらゆる方面から正しい親子の鑑別法を研究しました結果、とうとう最後の最後ともいうべき一ツの方法を思い付いたらしく、今一度裁判を開いて窮極の断案を下す事に相成りました。すなわちウイグ[#「ウイグ」は太字]裁判長は今から一週間ばかり前に数十通の通告書を発しまして、双方の弁護士、私達二人、十二人の陪審官は申すに及ばず、レミヤ[#「レミヤ」は太字]母子、ハルスカイン[#「ハルスカイン」は太字]、イグノラン[#「イグノラン」は太字]両家の親類縁者、家庭関係の牧師、教師、医師なんぞの一切合財に搗《か》てて加えて、当地の大学に奉職しておられます医学、法学、哲学、文学、動物学その他の自然科学者で、一流と呼ばるる大学者連の十数名を参考人として、きょうの午後三時まで当地方裁判所の第一号法廷に参集すべしという指定を与えたので御座います。しかもウイグ[#「ウイグ」は太字]氏が、斯様《かよう》に多種多様の大勢を、如何なる意図の下に第一号法廷に召集するのであろうか……という事は、裁判の当日まで全く不明で、双方の弁護士の一流の頭脳を以てしても尚且つ、想像だに及ぼし得ないところで御座いました。
 この事が例に依って世間に洩れ伝わりますと、その評判の素晴らしさというものは又特別で御座いました。「名裁判長ウイグ[#「ウイグ」は太字]氏は今日こそ、さしもの難事件を解決するに違いない」というので多大のセンセーション[#「センセーション」は太字]を捲き起しましたらしく、朝刊の報道するところに依りますとこの町に到着する列車の一等席は昨日から全部売り切れという盛況だったそうで……私も今日の午後になってから時間通りに裁判所に出頭すべく向うの町角まで参りますと、群集のために馬車が進められなくなりましたばかりでなく、目敏《めざと》い新聞記者連に取り巻かれそうになりましたので、慌てて馬車を引返して、ちょうどお宅に面しております未決監の、賄《まかない》部屋の勝手口から命からがら逃げ込む始末で御座いました。
 けれども、そうしてヤットの事で第一号法廷に立つ段になりますと、私は尚更の事、気を奪われてしまいました。正面に居並ぶ裁判長、陪席判事以下、弁護士、書記に到るまで、平生に倍した人数が法服|厳《いか》めしく、綺羅星《きらぼし》のようで……そのほか十二人の陪審員、参考人として列席した博士教授連、又は各地から特別に傍聴に来た法官連、ハルスカイン[#「ハルスカイン」は太字]、イグノラン[#「イグノラン」は太字]両家の親類縁者、家庭関係の人々の礼服、盛装姿なぞで、さしもに広い法廷も立錐の余地がないくらい……普通の傍聴人や新聞社関係の人々は一人も入場を許さなかった故《せい》か法廷内の空気は一層物々しく厳粛を極めておりましたようで……その真ん中に、私と弟とは、スヤスヤと眠った赤ん坊と、それを抱きかかえたレミヤ[#「レミヤ」は太字]を挟んで、小さくなって腰を卸した事で御座いました。
 サテ……そうした緊張した気分の中に参列者一同が裁判の内容に就いて秘密を守る旨の宣誓が終りまして、書記が今までの事件の経過を読み上げ終りますと、裁判長のウイグ[#「ウイグ」は太字]氏は徐《おもむ》ろに壇上に立ち上りまして、咳一咳、次のような演説を初めました。
「本官は只今からこの事件に対する最後の解決法に就いて説明しようとする者である。
 本事件は元来アルマ[#「アルマ」は太字]、マチラ[#「マチラ」は太字]の双生児兄弟が、ハルスカイン[#「ハルスカイン」は太字]家の一粒種となっているレミヤ[#「レミヤ」は太字]に対する恋愛に就いて、法律以上の法律、道徳以上の道徳を尊重した結果として惹き起された、超自然的な訴訟事件であって、現代の法律、科学智識、もしくは常識を以てしては永久に判決を下し得ざる奇怪、不可思議を極めた事件である。故にこれを解決しようとするには、現代の法律、科学智識、もしくは常識を以てしては到底測り得べからざる天の配剤による自然の解決[#「天の配剤による自然の解決」に傍点]を待つより外に方法はないと信ずる者である。
 ところで……ここに本官が云うところの、天の配剤による自然の解決法[#「天の配剤による自然の解決法」に傍点]なるものは僅かに二種類しかないのである。その一つは誰人も考え得るであろう通りにこの裁判を無期延期とする事である。そうして二人の父親の中のいずれかが死亡、もしくは他の恋愛によってレミヤ[#「レミヤ」は太字]と離れ去る事によって解決されるのを待つ方法であるが、しかし、そのような解決手段は、法律、道徳、常識のいずれから見ても許さるべき事ではない。レミヤ[#「レミヤ」は太字]所生の男児をそのように永く無名の子として放置しておく時は社会生活上あらゆる不都合を生ずる事になるので、この一事を以てしてもこの事件は一日も早く解決しなければならぬ事になる。本官が所謂《いわゆる》、第二の解決法を提唱して当法廷列席者諸氏の賛同を求むる所以《ゆえん》も亦、実にここに存するのである。
 本官の所謂第二の解決法というのは外でもない。すなわち一切の生物に共通して存在する『霊感』を応用する方法である。
 この生物の『霊感』なるものは今日のところではまだ科学者諸氏の間に、纏まった研究が行われていないようである。……が併し、その存在は確実に認められているので、強《あなが》ちに学者諸君に限らず、普通人と雖《いえど》もよく眼を開いて見る時は、地上到る処に『霊感』の存在を認める事が出来るのである。
 植物に於ては、眼も鼻も口も持たない草木の根が、壁一重向うの肥料の方へズンズンと伸びて行く。又は同じように五官を持たない蔓草の蔓が、支柱の在る方へサッサと延長して行くのも同じ道理で、何かは知らず一般生物界には、人間の五官以上の霊感が存在している事を気付かずにはいられないのである。そのほか林の樹々の枝が、決して摺《す》れ合わないように一定の距離間隔を保っているのを見ても、春に先立って地下茎が芽ぐむのを見ても、その他一切の造化の微妙な作用を観察するに付け聞くにつけて、何かしら人間の五官を超越した、或る偉大なる『霊感』の存在を肯定せずにはいられないのである。
 しかも、これが動物となると一層吾々人間の注意を惹き易いので、その最も顕著な実例だけでも殆んど枚挙に暇《いとま》がないくらいである。……たとえば七面鳥は山の向うに鷹が来ている事を知って雛鳥を蔽い隠し、駱駝《らくだ》は行く手の地平線下にライオン[#「ライオン」は太字]が居るのを知って立ちすくむ。蜘蛛《くも》は明日の晴天を確信して風雨の中に網を張りまわし、蛭《ひる》は水中に在りながら不断に天候の変化を予報する。その他、馬が乗り手の上手下手を只一眼で区別し、猫が猫好きを選んで身体《からだ》をスリ付けるなど、一々挙げて行くのはその煩に堪えないであろう。すなわち換言すれば、吾々人間は余りにその五官の働らきに信頼し過ぎている結果、こうした本来の霊感の作用を退化させているので、下等な生物になればなる程、斯様《かよう》な霊感が発達している事は、所謂文明国人と野蛮人のソレとを比較しても容易に首肯され得るであろう。
 しかもこの『下等な生物ほど霊感が発達している』という原則こそは、本官が採《と》って以《もっ》て、この裁判に応用して、最後の断案を下さむと欲する、所謂第二の手段の憑拠《ひょうきょ》となるべき、根本原則に外ならないのである。
 すなわち当法廷に参列しているレミヤ[#「レミヤ」は太字]所生の男児は、まだ東西を弁ぜざる嬰児《えいじ》である。しかも本官の調査するところに依れば、生れ落ちると間もない頃から母親の手に抱かれている間だけ温柔《おとな》しく、安らかに眠るに反して、他人が抱き取ろうとすると何もかもなく泣き出す習性がある。すなわちその真実の親を区別する霊感の如何に明敏なものであるかという事実を日常に証拠立てているものと認められるのである。
 本官は確信する。レミヤ[#「レミヤ」は太字]の児は同じようにして本当の父親をその霊感に依って容易に区別し得るであろう事を……アルマ[#「アルマ」は太字]とマチラ[#「マチラ」は太字]の二人の中、自分の父親でない方が抱いたならば直ぐに泣き出すであろうと同時に、本当の父親が抱いたならば直ぐに泣き止むであろう事を……。
 但し……この方法はいわば超常識的、もしくは超学理的の事実を根拠としたものであるから、あるいは牽強附会の誹《そしり》を免れ得ないであろう事を本官は最初から覚悟しているものである。
 故に本官は今日只今職権を以てこの手段をこの法廷に強いようとするものではない。ただ、この方法以外にこの裁判を確定する手段は、恐らく絶無であろう事を信ずるが故に、敢て御迷惑をもかえり見ず、斯《か》く多数の御出席を要望した次第である。すなわち現代の常識を代表する陪審員諸氏。……科学智識を代表する参考人諸氏……及び……ハルスカイン[#「ハルスカイン」は太字]、イグノラン[#「イグノラン」は太字]両家の家庭の内事に対して、多少共に発言権を有しておられる限りの紳士淑女のすべてをこの法廷に招集して、その『かくの如き解決手段を用いるの止むを得ざるに出でた理由』を訴え、その公明正大なる判断による満場の御賛同を得た後に、この解決方法を採用したいと考えている者である。
 然して、この前代未聞の裁判を確定したいと希望している者である」

       (7)[#「(7)」は縦中横]

 この演説が終りました時に満場の官民が一度に吐き出した溜め息は、お互い同志を吹き飛ばす位で御座いました。そうしてその溜め息が終るのを待って、不賛成者の起立を要望しました裁判長の声も、再び起った歎息の渦巻きによって答えられるばかりで御座いました。
 私達兄弟はそのような緊張した空気の中を相並んで裁判長の前に進み出まして、運命の切迫にわななく指で、受験の順番をきめる籤《くじ》を引きましたが、第一番の籤はどうした廻り合わせか弟に当りましたので私はガッカリしてしまいました。……赤ん坊は今スヤスヤと眠っているのですから、ソッと抱き取れば、わからないかも知れないのです。そうして丁度その次に私が抱き取る時に眼を醒ましてヒーヒー泣き出すかも知れないと思ったからです。……私はその時にこの裁判法の不公平を主張しなかった事を心から後悔しましたが、もう間に合いませんので、全身の血がカーッと頭に上って来るのをジッと我慢しながら、弟のする事を眼も離さずに見ておりました。
 ところが結果は案外な事になってしまったのです。案外にも意外にも、私は自分の顎が外れたのに気が付かなかった程の、驚き呆れた結論があらわれて来たのです。
 神ならぬ弟のマチラ[#「マチラ」は太字]は、そんな事になろうとは夢にも知らずに、第一の籤を引いたのでスッカリ自信が出来たらしく、満場の息苦しい注目の裡に大得意でレミヤ[#「レミヤ」は太字]の傍に進み寄って、スヤスヤと眠っている赤ん坊を出来るだけソーッと抱き取ろうとしましたが、弟の手が身体《からだ》に触れたか触れないかと思ううちに赤ん坊は、早くも眼を醒ましたものと見えまして、身体を弓のように反《そ》りかえらせながら火の付くように泣き出したのです。
「オヤア。オヤア。オニャオニャオニャ」……と……。その時の弟の顔は何と形容したらよろしいでしょうか。魂がパンクした表情とはあのような顔付きを云うのでしょうか。レミヤ[#「レミヤ」は太字]の膝の上に赤ん坊を取り落したまま、射抜かれた飛行船のようにフラフラと回転したと思うと、バッタリと床の上にヘタバリたおれてしまいました。
 満場のドヨメキの中に弟の身体が運び出されますと、私はもう嬉し泣きの涙で向うが見えなくなってしまいました。その涙を払う間もなく無我夢中でレミヤ[#「レミヤ」は太字]に飛び付いて、人眼も恥じずキッス[#「キッス」は太字]の雨を降らせますと、又もスヤスヤと眠りかけている赤ん坊を抱き上げて、
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