来まして、池の前に在る芝生の上に相並んで腰を下しましたが、そこで久方振りに口を利き合ってみますと、弟も私と同様に「一切を譲り渡す」という手紙を投函して行衛《ゆくえ》を晦《くら》ますつもりであったというのです……。ハルスカイン[#「ハルスカイン」は太字]家の血統が、こうして吾々二人のために咀《のろ》われて、あとかたもなく亡びて行くのをボンヤリ眺めている訳には行かない。……況《いわ》んやその跡に残った巨万の財産を二人で分配するなどいう事は堪えられ得る限りでない……レミヤ[#「レミヤ」は太字]を見殺しにして金持ちになる位なら、一思いに死んだ方が増しではないか……と眼を真赤にしていうのです。
私はそういう弟の顔を見ているうちに胸が一パイになってしまいました。そうして昔にも増した友情を回復しました二人はその芝生の上で手を取り交《か》わして、膝を組み合わせながら色々と善後策を協議しましたが、イクラ友情を回復してもハルスカイン[#「ハルスカイン」は太字]家の婿定めは依然として不可能で、結局は二人がかりでレミヤ[#「レミヤ」は太字]を見殺しにするより外に方法はないのです。
二人はそこで又、幾度となく歎息を繰り返しましたが、その中に弟のマチラ[#「マチラ」は太字]は何か思い付いたらしくノート[#「ノート」は太字]の一片を引き裂いて何かしら書き初めました。それを見ると私も、弟の心を察しましたので、同じようにノート[#「ノート」は太字]を引き破って鉛筆を走らせましたが、出来上った文句を交換して、二人が同時に読み下してみますと、揃いも揃ってコンナ意味の事が書いてありました。
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(一)二人は二人とも仮りにアルマチラ[#「マチラ」は太字]と名を附けて同時にレミヤ[#「レミヤ」は太字]の婿になる事。但し、一週間|宛《ずつ》交代にハルスカイン[#「ハルスカイン」は太字]家に泊って養子の役目を果す事。
(二)日曜日は休みにしてレミヤ[#「レミヤ」は太字]を教会に行かせる事。同時に二人は、もとの下宿に落ち合って、一週間の出来事を報告し合って、その晩は下宿に寝る事。
(三)レミヤ[#「レミヤ」は太字]に子供が生れたならば、その生れた日から二百八十日を逆に数えて、その週にハルスカイン[#「ハルスカイン」は太字]家に居た一人が正当の婿となり、内縁の妻レミヤ[#「レミヤ」は太字]と正式の結婚をする。これは天意だから仕方がないときめて、失恋した方は永久にハルスカイン[#「ハルスカイン」は太字]夫妻の前に姿を見せぬ。決して執念を残さない約束を今からしておく事。
(四)三人の生命を同時に救う途《みち》は、この以外に絶対にない事をレミヤ[#「レミヤ」は太字]に説き聞かせて、レミヤ[#「レミヤ」は太字]が承知をしたならば、二本の籤《くじ》を作らせて二人で引く事。
(五)レミヤ[#「レミヤ」は太字]がもし承知をしなければ、二人はレミヤ[#「レミヤ」は太字]の眼の前でピストル[#「ピストル」は太字]を出して狙い合う事。それでもレミヤ[#「レミヤ」は太字]が黙っているならば一、二、三を合図に引金を引く事――以上――
[#ここで字下げ終わり]
以上は大同小異の文句でしたが、こうした極端な場合になっても、二人の考えがコンナにまで一致しようとは全く思いもかけませんでしたので、二人は唇を白くして驚き合った事でした。そうして今更に宿命の恐ろしさに震え上りつつ、相並んでレミヤ[#「レミヤ」は太字]の病室の扉をノック[#「ノック」は太字]した事でした。
二人が別々に書いたノートの切端《きれはし》を、瘠せ細ったレミヤ[#「レミヤ」は太字]の両手に渡しますと、レミヤ[#「レミヤ」は太字]は未だスッカリ読んでしまわぬうちに涙を一パイに湛えました。そうして二枚の紙片を大切そうに重ねて枕の下に入れますと私達の手を執《と》って、自分の胸の上でシッカリと握手をさせました。
「お二人とも死なないで頂戴。……仲よくしてちょうだい……」
と云ううちに窶《やつ》れた頬を真赤に染めて、白い布団に潜ってしまいました。
レミヤ[#「レミヤ」は太字]はその翌る日から、お医者様がビックリされるほど元気を回復し初めました。そうしてそれから一週間目には以前とは見違えるほど晴れやかな顔に、美しくお化粧をして、私たちと一所《いっしょ》の食卓に着いてくれましたが、その時の食事の愉快でお美味《いし》かった事ばかりは永久に説明の言葉を発見し得ないであろうと思われる位で御座いました。
私達二人はその席上でレミヤ[#「レミヤ」は太字]の手から籤を引いてドチラが先に帽子と外套を取るかを決めましたが、その結果はこのお話の筋に必要がありませんから略さして頂きます。
(5)[#「(5)」は縦中横]
三人は、それから後病気一つせずに、固く約束を守り続ける事が出来ました。そうして私達兄弟は学校に居る時よりもズット面白おかしく日曜を楽しみ合うようになりましたが、一方にレミヤ[#「レミヤ」は太字]も頗《すこぶ》る満足しているらしく見えました。私達が二人ともアルマチラ[#「マチラ」は太字]と名が附いておりましたお蔭で、二人の夫を持っている気持ちなぞはミジンもしないらしく、極めて公平に真情を籠《こ》めて私たちに仕えてくれましたので、私達兄弟は今更ながら自分達の妙案にツクヅク感心した事でした。そうして二人とも新婚生活の楽しさと、独身生活の呑気さとを交る交る飽満しておりましたが、レミヤ[#「レミヤ」は太字]も亦レミヤ[#「レミヤ」は太字]で、こうした幸福と満足は、神様の特別の思し召しから来た事に違いないと信じて、教会へ行く度に感謝の祈祷を捧げない事はないと申しておりました。
しかし私たち三人のこうした平和な生活はそうそう長くは続きませんでした。それから未だ半年も経たないうちに、レミヤ[#「レミヤ」は太字]が早くも姙娠した事がわかったのです。そうしてそれが判明《わか》ると同時に私達兄弟は、ちょうどボート・レース[#「ボート・レース」は太字]の日が迫って来るような不安と圧迫感に襲われ初めたのです。
二人はそれから後、日曜を一緒に楽しむは愚かな事、口を利くだけの心の余裕すら失くして終《しま》ったのです。中にも私はレミヤ[#「レミヤ」は太字]が行き付けの天主教会に献金をして、僧正の位を持っているという老牧師に天祐を祈ってもらったり、何人もの産婆にレミヤ[#「レミヤ」は太字]を診察させて、生れる日取りを勘定してもらっては肝を冷したり、そうかと思うと有名な占い婆の門口で今一人のアルマチラ[#「マチラ」は太字]とぶつかり合って、赤面しながら引き返したり……なぞ、あらん限りの下らない事ばかりを、選《よ》りに選って繰り返しておりましたが、そんな事をしているうちにもレミヤ[#「レミヤ」は太字]のお腹は容赦なくせり出して来て、今にも赤ん坊が飛び出しそうになって参りました。
私共がそれに連れて夢中になってしまった事は申す迄もありませぬ。
日記帳と首引きをしながら、
「……今日生れては大変だが」
と指折り数えて青くなっているうちにヤット弟の週間を通り越して自分の週間に這入って来たその嬉しさ……と思うと又、何事もなくその週間を通過して行くその恐ろしさ。
思いは同じ弟も、同じ下宿の闇黒の中に眼を瞭《みは》りながらジット時計のセコンド[#「セコンド」は太字]を数えている気はいが、一所に眼を醒ましている私にアリアリと感じられるようになりました。
こうして予定から一箇月も遅れた昨年の十月の末の火曜日にレミヤ[#「レミヤ」は太字]はやっとの事で、玉のような男の児を生み落したのですが……しかし、どうでしょう……それから約束の二百八十日を逆に数えてみますと……ナント驚くべき事には、その日は私の週間でもなければ弟の領分でもない……ちょうどレミヤ[#「レミヤ」は太字]が教会に行って、二人が下宿に休んでいる、その日曜日に当っているでは御座いませぬか。……私たちが二百八十日という日数を定めましたのは医者の書物に書いてある普通の女の姙娠期間を標準にしたものですが、それがコンナ皮肉な結果になろうとは誰が思い及びましょう。……イクラ神様の思し召しでも、これは又余りに残酷な……イタズラ小僧の思い付きとしか思えない思し召しようでは御座りませぬか。
私たち三人の運命はお蔭で又も完全に行き詰まってしまいました。
けれどもその行き詰まり状態は、以前のような遠慮や妥協の利く行き詰まり状態とは全然程度が違っておりました。
その児は男の子に有り勝ちの母親|肖《に》で、実に可愛らしく丸々と肥っておりましたが、どうしたものか生れ落ちると間もなく、母親以外の誰が抱いても承知しなくなりましたのでレミヤ[#「レミヤ」は太字]はもう有頂天になって可愛がっているのです。私達もそれを見ますと直ぐにも抱き上げて頬擦りしてみたい衝動で一パイになるのですが、まだどっちの子とも決定《きま》らない以上どうする事も出来ません。ウッカリ先に手でも出そうものならその場で決闘が初まりそうな気がするのです。そこで、もうスッカリ破れかぶれになってしまった私達兄弟は、間もなくこの町で一流の弁護士を頼んで、一か八かの勝敗を決定してもらうべく、双方から同時に訴訟を提起する事になりました。
ところがこの裁判の係長を引き受けた人は、この界隈でも名判官の評判を取っているテロル[#「テロル」は太字]、ウイグ[#「ウイグ」は太字]という主席判事で御座いましたが、事件の性質上、裁判の内容を絶対秘密にする旨を関係者一同に宣誓させた上で、双方の主張を聴取る段取りになりますと、私の方の弁護士がタッタ一ツ取っておきの「兄の権利」を主張してマチラ[#「マチラ」は太字]の主張を押え付けようとするのに対して、相手側の弁護士は「双生児の兄と弟を区別する事は出来ない筈である。従来のように後から生れた方を兄と認めるのは要するに迷信的な判別法で、医学上ではドチラが兄か弟か区別出来ない事になっている」という事実を専門家の説明付きで主張して一歩も後へ引きません。……それでは二人の父親の血液を採って、赤ん坊の血液と比較研究して、ドチラかに近い方の血液の持ち主を本落の親と認めてはドウかという事になりましたので、取りあえず私達二人の血を採って調べてみますと、これが又生憎と揃いも揃った同類同型の血液で、赤ん坊の血清に対する反応も隅から隅まで同一なのです。……では指紋でもいいから似通った方を親子と決めようというので双方同意の上で調べてもらいますと、これは又兄弟とも全然型が違っている上に、赤ん坊の指紋は又飛び離れた形になっておりますので、これも問題にならなくなりました。
こうして裁判官も弁護士も、それからこの裁判のために特別に召集されました陪審員たちまでも、ドン底まで行き詰まってしまう一方に、赤ん坊は誰も名前の付けてやり手がないまんまズンズンと大きくなって行きます。そのうちにこの裁判の秘密が、どこから洩れたものかわかりませんが、だんだんと評判になって参りまして、方々の新聞がヨタ交《まじ》りに書き立てるようになりました。すなわちこの裁判が、どうなるかという事は全世界の裁判史上に一つの大きなレコード[#「レコード」は太字]を止《とど》める意味になりますので……しかも、このまま無期延期にするとか、双方の示談にするとかいう事は、絶対に不可能というのですから、新聞が飛び切りの題目として、徳義を構わず書き立てるのは無理もない事と思われます。
(6)[#「(6)」は縦中横]
名裁判長ウイグ[#「ウイグ」は太字]氏は、こうした形勢を眼の前に見ますと、今までの行き詰まりの一切合財を総決算的に引き受けた気持ちになって、モノスゴイ苦心を初めたらしいのです。その証拠には殆んど裁判|毎《ごと》に、その鬚が白くなって行くように見えたのですが、しかし、それと同時にウイグ[#「ウイグ」は太字]氏は、この裁判を自分の名誉にかけても片
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