シッカリと抱き締めました。
「サアサア、お父さんだよお父さんだよ」
と揺すり上げながら、思い切り頬ずりをしようとしましたが、その私のチョッキ[#「チョッキ」は太字]の上を、思いもかけぬ力強さでメチャクチャに蹴立てた赤ん坊は、又も焦げ付くように泣き藻掻《もが》き初めました。
「ウギャー。ウギャー。オヤア。オヤア。ヒヤアヒヤアヒヤア。フニャーフニャーフニャー」
私は赤ん坊を抱えたまま、棒のように立ち竦《すく》んでしまいました。余りの事に途方に暮れながら、割れるような法廷の動揺の中にレミヤ[#「レミヤ」は太字]の顔を見返りますと……これは又、どうした事でしょう……。レミヤ[#「レミヤ」は太字]は法廷の床の上に転び落ちて、美しい顔を引き歪《ゆが》めながら、虚空を掴んで悶絶しているでは御座いませんか。しかも、それと同時に背後の方で、
「……ああ……神様よ……おゆるしを……」
という奇妙な声が聞こえましたので、思わずその方を振り向いてみますと、傍聴席のズット向うの壁際で、一人の黒い服を着た老人が失神しかけているのを、左右に座っている人が支え止めている様子です。……そうしてその顔をよくよく見ますと、それはレミヤ[#「レミヤ」は太字]が日曜|毎《ごと》に参詣していた天主教会の僧正様で、私のために天祐を祈ってくれたアノ老牧師さんではありませんか……。
……ああ……。
……何という、恐ろしい天の配剤で御座いましょう。……何という適切な自然の解決で御座いましょう。……そうして又、何という名裁判で御座いましょう。
……レミヤ[#「レミヤ」は太字]は日曜も休んでいなかったので御座います……。
……私は抱いていた赤ん坊をどこへ取り落したか全く記憶致しません。ただ夢うつつのように法廷をよろめき出て、最前這入って来た通りの道を歩いて、まっ直ぐに先生の処に来たように思うだけで御座います。
(8)[#「(8)」は縦中横]
……イヤもう……こんな恐ろしい、馬鹿馬鹿しい眼に会おうとは、今日が今日まで夢にも想像していませんでした。
……私はもう、失恋していいのか悪いのか、わからなくなってしまいました。……これが失恋というものか、どうなのかすら自分で解からないような、奇妙キテレツな気持ちになってしまいました。……ですからこのような秘密を打ち明けて先生の御判断を仰《あ》おぐのです。
……先生……一体私はこれから、どうしたらいいのでしょうか……。
……あの児の本当の父親は……レミヤ[#「レミヤ」は太字]の正当の夫は……イッタイ誰にきめたらいいのでしょうか……。
………………………………………………………………
こう云い云いアルマ[#「アルマ」は太字]青年は、やっと顔を上げた。そうして流るる汗を拭い拭い、老ドクトル[#「ドクトル」は太字]、パーポン[#「パーポン」は太字]氏の顔を見上げたが、そのまま二三度眼をパチパチさせたと思うと、折角《せっかく》、タッタ今はめてもらったばかりの顎を、又も、ガックリと外してしまった。
ドクトル[#「ドクトル」は太字]の顎が、いつの間にか外れていたので……。
底本:「夢野久作全集3」ちくま文庫、筑摩書房
1992(平成4)年8月24日第1刷発行
入力:柴田卓治
校正:kazuishi
2000年10月25日公開
2006年3月11日修正
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