自分の声だかどうだかを、的確に聞き分けてやろうと思って、ショッチュウ心掛けていたものであった。
ところが、ここに又一つの奇蹟が現われた……というのは外でもない。その本を読んでからというもの、彼はどうしたものか、一度もそんな声にぶつからなくなってしまった事であった。ちょうど正体を看破された幽霊か何《なん》ぞのように、自分を呼びかける自分の声が、ピッタリと姿を見せなくなったので、この七八年というもの彼は忘れるともなしにソノ「自分を呼びかける自分の声」のことを忘れてしまっていた。もっともこの七八年というもの彼は、所帯を持ったり、子供は出来たりで、好きな数学の研究に没頭して、自分の魂を遊離させる機会が些《すく》なかったせいかも知れなかったが……。
ところが又、その後になって、彼の妻と子供が死んで、ホントウの一人ポッチになってしまうと、不思議にも今云ったような心理現象が又もやハッキリと現われ出して、彼を驚かし初めたのであった。のみならずその声が彼にとっては実にたまらない、身を切るような痛切な形式でもって襲いかかりはじめたので、彼はモウその声に徹底的にタタキ付けられてしまって、息も吐《つ》か
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