しらが》の殖えた無精髯《ぶしょうひげ》を蓬々《ぼうぼう》と生やした彼の相好《そうごう》を振り返りつつ、互いに眼と眼を見交《みかわ》した。その中にも同僚の橋本訓導は、真先《まっさき》に椅子《いす》から離れて駈け寄って来て、彼の肩に両手をかけながら声を潤《うる》ませた。
「……ど……どうしたんだ君は。……シシ……シッカリしてくれ給《たま》え……」
眼をしばたたきながら、椅子から立ち上った校長も、その横合いから彼に近付いて来た。
「……どうか充分に休んでくれ給え。吾々《われわれ》や父兄は勿論のこと、学務課でも皆、非常に同情しているのだから……」
と赤ん坊を諭《さと》すように背中を撫《な》でまわしたのであったが、しかし、そんな親切や同情が彼には、ちっとも通じないらしかった。ただ分厚い近眼鏡の下から、白い眼でジロリと教室の内部《なか》を見廻わしただけで、そのまま自分の椅子に腰を卸《おろ》すと、彼の補欠をしていた末席の教員を招き寄せて学科の引継《ひきつぎ》を受けた。そうして乞食のように見窄《みすぼ》らしくなった先生の姿に驚いている生徒たちに向って、ポツポツと講義を初めたのであった。
それから午後になって教員室の連中から、
「無理もない」
というような眼付きで見送られながら校門を出るとそのまま右に曲って、生徒たちが見送っているのも構わずにサッサと線路を伝い初めたのであった。……又も以前の通りの思出《おもいで》を繰返しつつ、……自分の帰りを待っているであろう妻子の姿を、木《こ》の間《ま》隠れの一軒屋の中に描き出しつつ……。
彼はそれから後、来る日も来る日もそうした昔の習慣を判で捺《お》したように繰返し初めたのであったが、しかしその中にはタッタ一つ以前と違っている事があった。それは学校を出てから間もない堀割の中程に立っている白いシグナルの下まで来ると、おきまりのようにチョット立止まって見る事であった。
彼はそうしてそこいらをジロジロと見廻しながら、吾児《わがこ》の轢《ひ》かれた遺跡らしいものを探し出そうとするつもりらしかったが、既に幾度も幾度も雨風に洗い流された後なので、そんな形跡はどこにも発見される筈が無かった。
しかし、それでも彼は毎日毎日、そんな事を繰り返す器械か何ぞのように、おんなじ処に立ち佇《ど》まって、くり返しくり返しおんなじ処を見まわしたので、そこいらに横
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