たわっている数本の枕木の木目や節穴、砂利の一粒一粒の重なり合い、又はその近まわりに生えている芝草や、野茨《のいばら》の枝ぶりまでも、家に帰って寝る時に、夜具の中でアリアリと思い出し得るほど明確に記憶してしまった。そうして彼はドンナニ外《ほか》の考えで夢中になっている時でも、シグナルの下のそのあたりへ来ると、殆《ほと》んど無意識に立佇《たちど》まって、そこいらを一渡り見まわした後でなければ、一歩も先へ進めないようにスッカリ癖づけられてしまったのであった……何故《なぜ》そこに立佇まっているのか、自分自身でも解らないままに、暗い暗い、淋《さび》しい淋しい気持ちになって、狃染《なじ》みの深い石ころの形や、枕木の切口の恰好《かっこう》や、軌条の継目の間隔を、一つ一つにジーッと見守らなければ気が済まないのであった……………………。
「お父さん」
 というハッキリした声が聞こえたのは、ちょうど彼がそうしている時であった。
 彼はその声を聞くや否や、電気に打たれたようにハッと首を縮めた。無意識のうちに眼をシッカリと閉じながら、肩をすぼめて固くなったが、やがて又、静かに眼を見開いて、オズオズと左手の高い処を見上げた。寂《さび》しい霜枯《しもが》れの草に蔽《おお》われた赤土の斜面と、その上に立っている小さな、黒い人影を予想しながら……。
 ところが現在、彼の眼の前に展開している堀割の内側は、そんな予想と丸で違った光景をあらわしていた。見渡す限り草も木も、燃え立つような若緑に蔽われていて、色とりどりの春の花が、巨大な左右の土の斜面の上を、涯《は》てしもなく群がり輝やき、流れ漾《ただよ》い、乱れ咲いていた。線路の向うの自分の家を包む山の斜面の中程には、散り残った山桜が白々と重なり合っていた。朗《うら》らかに晴れ静まった青空には、洋紅色《ローズマダー》の幻覚をほのめかす白い雲がほのぼのとゆらめき渡って、遠く近くに呼びかわす雲雀《ひばり》の声や、頬白《ほおじろ》の声さえも和《なご》やかであった。
 ……その中のどこにも吾児《わがこ》らしい声は聞こえない……どこの物蔭にも太郎らしい姿は発見されない……全く意外千万な眩《ま》ぶしさと、華やかさに満ち満ちた世界のまん中に、昔のまんまの見窄《みすぼ》らしい彼自身の姿を、タッタ一つポツネンと発見した彼……。
 ……彼がその時に、どんなに奇妙な声を立てて泣
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