木魂
夢野久作
−−
【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)立ち佇《ど》まって
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)五|勺《しゃく》ばかり
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)[#「俺はきょうこそ間違いなく汽車に轢き殺されるのだぞ」に傍点]
−−
……俺はどうしてコンナ処に立ち佇《ど》まっているのだろう……踏切線路の中央《まんなか》に突立って、自分の足下をボンヤリ見詰めているのだろう……汽車が来たら轢《ひ》き殺されるかも知れないのに……。
そう気が付くと同時に彼は、今にも汽車に轢かれそうな不吉な予感を、背中一面にゾクゾクと感じた。霜《しも》で真白になっている軌条の左右をキョロキョロと見まわした。それから度の強い近眼鏡の視線を今一度自分の足下に落すと、霜混《しもまじ》りの泥と、枯葉にまみれた兵隊靴で、半分腐りかかった踏切板をコツンコツンと蹴《け》ってみた。それから汗じみた教員の制帽を冠《かぶ》り直して、古ぼけた詰襟《つめえり》の上衣《うわぎ》の上から羊羹《ようかん》色の釣鐘マントを引っかけ直しながら、タッタ今通り抜けて来た枯木林の向うに透いて見える自分の家の亜鉛《トタン》屋根を振り返った。
……一体俺は、今の今まで何を考えていたのだろう……。
彼はこの頃、持病の不眠症が嵩《こう》じた結果、頭が非常に悪《わ》るくなっている事を自覚していた。殊に昨日は正午過ぎから寒さがグングン締まって来て、トテモ眠れそうにないと思われたので、飲めもしない酒を買って来て、ホンの五|勺《しゃく》ばかり冷《ひや》のまま飲んで眠ったせいか、今朝《けさ》になってみると特別に頭がフラフラして、シクンシクンと痛むような重苦しさを脳髄の中心に感じているのであった。その頭を絞るように彼は、薄い眉《まゆ》をグット引寄せながら、爪先《つまさき》に粘《ねば》り付いている赤い泥を凝視《みつ》めた。
……おかしいぞ。今朝は俺の頭がヨッポドどうかしているらしいぞ……。
……俺は今朝、あの枯木林の中の亜鉛葺《トタンぶき》の一軒屋の中で、いつもの通りに自炊の後始末をして、野良《のら》犬が這入《はい》らないようにチャント戸締りをして、ここまで出かけて来たことは来たに相違ないのだが、しかし、それから今までの間じゅう、俺は何を考えていたのだろう。……何
次へ
全27ページ中1ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
夢野 久作 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング