あった。
それからもう一つその翌《あく》る日のこと……かどうかよくわからないが、ウッスリ眼を醒《さ》ました彼は囁《ささ》やくような声で話し合っている女の声をツイ枕元の近くで聞いた。ちょうどラムプの芯《しん》が極度に小さくして在ったので、そこが自分の家であったかどうかすら判然《はっきり》しなかったが、多分介抱のために付添っていた、近くの部落のお神さん達か何かであったろう。
「……ホンニまあ。坊ちゃんは、ちょうどあの堀割のまん中の信号の下でなあ……」
「……マアなあ……お父さんの病気が気にかかったかしてなあ……先生に隠れて鉄道づたいに近道さっしやったもんじゃろうて皆云い御座《ござ》るげなが……」
「……まあ。可愛《かあい》そうになあ……。あの雨風の中になあ……」
「それでなあ。とうとう坊ちゃんの顔はお父さんに見せずに火葬してしまうたて、なあ……」
「……何という、むごい事かいなあ……」
「そんでなあ……先生が寝付かっしゃってから、このかた毎日坊ちゃんに御飯をば喰べさせよった学校の小使いの婆《ばあ》さんがなあ。代られるもんなら代ろうがて云うてなあ。自分の孫が死んだばしのごと歎《なげ》いてなあ……」
あとはスッスッという啜《すす》り泣きの声が聞こえるばかりであったが、彼はそれでも別段に気に止めなかった。そうした言葉の意味を考える力も無いままに又もうとうとしかけたのであった。
「橋本先生も云うて御座ったけんどなあ。お父さんもモウこのまま死んで終《しま》わっしゃった方が幸福《しやわせ》かも知れんち云うてなあ……」
といったようなボソボソ話を聞くともなく耳に止めながら……自分が死んだ報《しら》せを聞いて、口をアングリと開いたまま、眼をパチパチさせている人々の顔と、向い合って微笑しながら……。
けれどもそのうちに、さしもの大熱が奇蹟的に引いてしまうと、彼は一時、放神状態に陥ってしまった。和尚《おしょう》さんがお経を読みに来ても知らん顔をして縁側に腰をかけていたり、妻の生家から見舞いのために配達させていた豆乳《とうにゅう》を一本も飲まなかったりしていたが、それでも学校に出る事だけは忘れなかったと見えて、体力が出て来ると間もなく、何の予告もしないまま、黒い鞄を抱え込んでコツコツと登校し初めたのであった。
教員室の連中は皆驚いた。見違えるほど窶《やつ》れ果てた顔に、著しく白髪《
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