ねエイヤエイヤと、調子を計って押しつ緩めつしているけはいである。さては前以て察した通りにこの和尚奴、自身大工の心得があるのを幸い、本堂のアタリアタリの締りを弛め、普通《なみ》の者の力でも拍子を揃えてゆすぶれば、次第次第に揺れ出すように仕掛け、天井裏には砂でも積んでおいて、客人達が勝負に夢中になっている油断を見澄まして、コッソリとカラクリを動かし、この辺の無智な奴どもを脅やかし、悪銭を奪いおったに相違ない。これこそ天の与うる福運。取逃がしてなるものかと思ううち、ぬき足さし足和尚の背後《うしろ》に忍び寄り、腰の錆脇差《さびわきざし》をソロソロと音のせぬように抜き放ち、和尚の背中のマン中あたりにシッカリと切先《きっさき》を狙い付け、矢声もろとも諸手《もろて》突きに、柄《つか》も透《とお》れと突込めば、何かはもってたまるべき、悪獣のような叫び声をギャアッと立てたがこの世の別れ、あおのけ様に引っくり返って、そのまま息が絶えてしまった。その声に驚いて、外に逃出していた百姓連中がワイワイと駈集《かけあつ》まって来るのを、銀之丞は和尚の屍体に片足かけたまま見下した。引抜いた血刀を構えながら凜々《りんりん》たる声を張上げて叫んだ。
「……騒ぐな騒ぐな。百姓共。よく聞けよ。身共は京都に在《おわ》します一品薬王寺宮《いっぽんやくおうじのみや》様の御申付《おもうしつけ》によって是《これ》まで参いった宮侍、吉岡鉄之進と申す者じゃ。そもそもこの寺は今川義元公の没落後、東照宮様の御心入れによって、薬王寺宮様の御支配寺になっていたものをこれなる悪僧が横領致して、不思議なる働きをなし、その方共が持寄る不浄の金を掻集めおる噂が、勿体なくも宮様の御耳に入り、一日も早く件《くだん》の悪僧を誅戮《ちゅうりく》なし、下々《しもじも》の難儀を救い取らせよとの有難い思召《おぼしめし》によって、はるばる身共を差遣《さしつか》わされた次第じゃ。只今首尾よくこの悪僧を仕止めた以上、この寺に在る不浄の金銭は残らず宮家に於て召上げられる故に左様《さよう》心得よ。なおその方共は身共の下知に従って、隠れたる金銀を探し出し、身共の差図通りに取形付けを致すならば、今日持って参《ま》いった賭博《ばくち》の資金《もとで》は各自《めいめい》に相違なく返し遣わすのみならず、賃銀は望みに任するであろう。もし又、否やを申す者があるならば、一品宮様の御罰までもない。身共がこの和尚と同様に一刀の下に斬棄《きりす》てる役柄故、左様《さよう》心得よ」
それから数日の後《のち》、銀之丞は一品薬王寺宮御門跡の御賽銭宰領に変装し、井遷寺の床下に積んであった不浄の金を二十二の銭叺《ぜにがます》に入れ、十一頭の馬に負わせ、百姓共に口を取らせて名古屋まで運び、諸国為替問屋、茶中《ちゃちゅう》の手で九千余両の為替に組直させ、百姓共に手厚い賃銀を取らせて追返すと、さっぱりと身姿《みなり》を改めて押しも押されもせぬ公家侍の旅姿となり、夜《よ》を日に次いで京都へと急いだ。
一方、銀之丞に別れた播磨屋千六は、途中滞りもなく長崎へ着いた。
千六は長崎へ着くと直ぐに抜荷《ぬけに》を買いはじめた。抜荷というのは今でいう密貿易品のことで、翡翠《ひすい》、水晶、その他の宝玉の類、緞子《どんす》、繻珍《しゅちん》、羅紗《ラシャ》なぞいう呉服物、その他禁制品の阿片《アヘン》なぞいうものを、密かに売買いするのであったが、その当時は吉宗将軍以後の御政道の弛《ゆる》みかけていた時分の事だったので、面白いほど儲かった。モトモト千六は無敵な商売上手に生れ付いていたのが、女に痴呆《ほう》けたために前後を忘れていたに過ぎないので、こうして本気になって、女にも酒にも眼を呉《く》れず、絶体絶命の死身《しにみ》になって稼ぎはじめると、腕っこきの支那人でも敵《かな》わないカンのいいところを見せた。のみならず千六は賭博《ばくち》にも勝《すぐ》れた天才を持っていたらしく、相手の手の中《うち》を見破って、そいつを逆に利用する手がトテモ鮮やかでスゴかったので仲間の交際《つきあい》ではいつも花形になったばかりでなく、その身代は太るばかり。長崎に来てからまだ半年も経たぬうちに、早くも一万両に余る金を貯めたのを、彼《か》の夜の事を忘れぬように三五屋《さんごや》という家号で為替に組んで、大阪の両替屋、三輪鶴《みわづる》に預けていた。従って三五屋という名前は大阪では一廉《ひとかど》の大商人《おおあきんど》で通っていたが、長崎では詰まらぬ商人《あきんど》宿に燻ぶっている狐鼠狐鼠《こそこそ》仲買に過ぎなかった。
その年の秋の初めの事であった。千六は何気なく長崎の支那人街を通りかかると、フト微《かす》かに味噌の臭いがしたので立ち佇まった。そこいらを見まわすと前後左右、支那人の家《うち》ばかりだから韮《にら》や大蒜《にんにく》の臭気《におい》がする分にはチットモ不思議はない筈であるが、その頃までは日本人しか使わない麦味噌の臭気《におい》がするとは……ハテ……面妖な……と思ったのが大金儲《おおがねもうけ》の緒《いとぐち》であったとは流石《さすが》にカンのいい千六も、この時まだ気付かなかったであろう。頻りに鼻をヒコ付かせて、その臭気《におい》のする方向へ近附いて行くうちに味噌の臭気《におい》がだんだんハッキリとなって来た。間もなく眼の前に屹立《きった》っている長崎随一の支那貿易商、福昌号《ふくしょうごう》の裏口に在る地下室の小窓から臭《にお》って来ることがわかった。そっと覗いてみると、暗い、微かな光線の中に一面に散らばった鋸屑《おがくず》の上に、百|斤入《きんいり》と見える新しい味噌桶が十個、行儀よく二行に並んでいる。残暑に蒸《む》るる地下室で、味噌が腐りそうになったので、小窓を開いて息を抜いているものらしかった。
そこで千六は暫く腕を組んで考えていたが、忽ちハタと膝を打って、赤い舌をペロリと出した。
「……そやそや……味噌桶と見せかけて、底の方へは何入れとるか知れたもんやない。この頃長崎中の抜荷買《なかま》が不思議がっとる福昌号の奸闌繰《からくり》ちうのはこの味噌桶に違いないわい。ヨオシ来た。そんなら一つ腕に縒《より》をかけて、唐人共の鼻を明かいてコマソかい。荷物の行く先はお手の筋やさかい……」
そんな事をつぶやくうちに千六はもう二十日鼠のようにクルクルと活躍し初めていた。
先ず福昌号の表口へ行って、その店の商品の合印《あいじるし》が○に福の字である事を、その肉の太さから文字の恰好まで間違いないように懐紙に写し取った。その足で長崎中の味噌屋を尋ねて、福昌号に味噌を売った者はないかと尋ねてみると、タッタ一軒、山口屋という味噌屋で三百五十|斤《きん》の味噌を売ったというほかには一軒も発見し得なかった。
それから同じく長崎中の桶屋を、裏長屋の隅々まで尋ねて、福昌号の註文で新しい味噌桶を作った家《うち》を探し出し、そこで百斤入の蓋附桶を十個作った事が判明すると、千六はホッと一息して喜んだ。
「それ見い。云わんこっちゃないわい。百斤入の桶が十個に味噌がタッタ三百五十斤……底の方に鋸屑《おがくず》と小判が沈んどるに、きまっとるやないか」
とつぶやくと、思わず躍り上りたくなるのをジッと辛棒して、何喰わぬ顔で同じ型の蓋附桶を十個、大急ぎで誂《あつら》えた。それから今度は金物屋に行って鉛の半円鋳《なまこ》を六百斤ほど買集め、そっくりそのまま町外れのシロカネ屋(金属細工屋)に持って行って、これは蓬莢島《ホルモサ》から来た船の註文ゆえ、特別念入りの大急ぎで遣ってもらいたい。蓬莢島《ホルモサ》でも一番の大金持、万熊仙《まんゆうせん》という家で、この六月に生れる赤ん坊のお祝いに、部屋部屋の天井から日本の小判を吊るすのだそうで、ソックリそのまま蠅除《はいよ》けにするという話。普通の家《うち》では真鍮の短冊を吊すところを金持だけに凝《こ》った思案をしたものらしい。面倒ではあろうが、この鉛鋳《なまこ》の全部を大急ぎで小判の形に打抜いて金箔をタタキ付けてもらいたい。糸を通す穴は向うに着いてから明けるそうな。本物の小判のお手本はここに在る……といったような事を、まことしやかに頼み込んだ。
賃銀がよかったのでシロカネ屋の老爺《おやじ》は、さほど怪しみもせずに、両手を揉合《もみわ》わせて引受けた。六百斤のナマコを三日三夜がかりで一万枚に近い小判型に打抜いて畳目まで入れたものに金箔を着せたのを、千六に引渡した。
千六は、その小判を新しい唐米《からまい》の袋に詰込んで、手車に引かせ、帰りに桶屋から十個の桶を受取り、序《ついで》に山口屋から味噌を四百斤と、材木置場から鋸屑《おがくず》を五俵ほど買込んで、同じ手車に積ませて、その日の暮れ方に舟着場へ持って来た。そこで百石積の玄海丸という抜荷《ぬけに》専門の帆前船を探し出して顔なじみの船頭に酒手を遣り、水揚人足に命じて車の上の荷物を全部積込ませると、念のためもう一度上陸してこの間の福昌号の裏口に行き、人通りの絶えたところを見計《みはか》らって地下室の小窓に鼻を近付け、今一度中の様子を窺いてみた。中には四五日前の通りに味噌桶が行列して、黴臭《かびくさ》い味噌の臭気《におい》がムンムンする程籠もっていた。
ニンガリと笑った彼は立上って空を仰いでみた。この辺では穏やかでない東《こち》寄りの南風《はえ》が数日来、絶え間なしに吹いているところで、追手の風でも余程自信のある船頭でないと船を出せるものでないことが商売柄千六にはよくわかっていた。
舟着場に帰った千六は船頭を捉《つか》まえて、明日早朝に船が出せるかどうか。五島の城ヶ島まで行けるかどうか。船賃は望み次第出すが……と尋ねてみると、淡白らしい船頭は、城ヶ島なら屈託する事はない。心配する間もないうちに行き着いてしまう。ほかの船なら生命《いのち》がけの賃銀を貰うか知れぬが、この玄海丸に限って無駄な銭は遣わっしゃるな。この風に七分の帆を張れば、明日《あす》の夕方までには海上三十里を渡いて見せまっしょ……と自慢まじりに鼻をうごめかすのであった。
千六は天の助けと喜んだ。すぐに多分の酒手を与えて船頭を初め舟子《かこ》舵取《かんどり》まで上陸させて、自分一人が夜通し船に居残るように計らった。
船の中が空っぽになって日が暮れると、千六は提灯を一つ点《つ》けて忙がしく働き初めた。十個の味噌桶の底にそれぞれ擬《まが》い小判を平等に入れて、上から鋸屑《おがくず》を被《おお》いかぶせ、その上から味噌を詰込んでアラカタ百斤の重さになるように手加減をした。厳重に蓋をして目張りを打つと、残った味噌と鋸屑《おがくず》は皆、海に投込んでしまった。アトを綺麗に掃出《はきだ》して、海岸を流して行く支那ソバを二つ喰うと、知らぬ顔をして寝てしまった。
翌る朝は、まだ夜《よ》の明けないうちに船頭たちが帰って来た。昨夜《ゆんべ》の酒手が利いたらしくキビキビと立働らいて、間もなく帆を十分に引上げると、港中の注視の的になりながら、これ見よがしに港口を出るや否や、マトモ一パイに孕んだ帆を七分三分に引下げた。暴風雨《あらし》模様の高浪を追越し追越し、白泡を噛み、飛沫《しぶき》を蹴上げて天馬|空《くう》を駛《はし》るが如く、五島列島の北の端、城ヶ島を目がけて一直線。その日の夕方も、まだ日の高いうちに、野崎島をめぐって神之浦《こうのうら》へ切れ込むと、そこへ山のような和蘭陀《オランダ》船が一艘|碇泊《かか》って、風待ちをしているのが眼に付いた。
「ナアルほどなあ。千六旦那の眼ンクリ玉はチイット計《ばか》り違わっしゃるばい。摺鉢《すりばち》の底の長崎から、この船の風待ちが見えとるけになあ。ハハハハ……」
と感心する船頭の笑い声を眼で押えた千六は、兼ねて用意していた福昌号の三角旗を船の舳に立てさした。風のない島影の海岸近くをスルスルと辷《すべ》るように和蘭《オランダ》船へ接近して帆を卸《おろ》すと、ピッタリと横付けにした。
船の甲板から人相の悪い紅毛
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