くとも色事にだけは日本一|押《おし》の強い腰抜け侍に腑抜《ふぬ》け町人。春の日永《ひなが》の淀川づたいを十何里が間。右に左にノラリクラリと、どんな文句を唄うて、どんな三味線をあしろうて行ったやら。揃いも揃うた昔に変る日焼|面《づら》に鬚《ひげ》蓬々《ぼうぼう》たる乞食姿で、哀れにもスゴスゴと、なつかしい京外れの木賃宿に着いたのが、ちょうど大文字山の中空《なかぞら》に十四日月のほのめき初《そ》むる頃おいであった。明くれば宝暦二年の三月十五日。日本切っての名物。島原の花魁《おいらん》道中の前の日の事とて、洛中洛外が何とのう、大空に浮き上って行きそうな気はいが、二人の泊っている木賃宿のアンペラ敷の上までも漂うていた。
 月は満月。人も満月。桜は真盛り……。
 島原一帯の茶屋の灯火《あかり》は日の暮れぬ中《うち》から万燈《まんどう》の如く、日本中から大地を埋めむばかりに押寄せた見物衆は、道中筋の両側に身動き一つせず。わけても松本楼に程近い石畳の四辻は人の顔の山を築いて、まだ何も通らぬうちから固唾《かたず》を呑んで、酔うたようになっていた。
 そのうちに聞こえて来る前触《しらせ》の拍子木。草履の
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