、見たいと思うてはおりまするが、今の体裁《ていたらく》では思いも寄りませぬ事で……」
「……おお……それそれ。それについてよい思案がある。この三月の十五日の夜《よ》には島原で満月の道中がある筈じゃ。今生の見納めに連れ立って見に参ろうでは御座らぬか。まだ四五日の間《ま》が御座るけに、ちょうどよいと思いまするが……」
「さいやなあ。そう仰言りましたら何で否《いな》やは御座りましょうか。なれど、その途中の路用が何として……」
「何の、やくたいもない心配じゃ。拙者にまだ聊《いささ》かの蓄《たくわ》えもある。それが気詰まりと思わるるならば此方《こんた》、三味線を引かっしゃれ。身共《わて》が小唄を歌おうほどに……」
「おお。それそれ。貴方《あなた》様の小唄いうたら祇園、島原でも評判の名調子。私の三味線には過ぎましょうぞい」
「これこれ。煽立《おだ》てやんな。落ちぶれたなら声も落ちつろう。ただ小謡《こうたい》よりも節《ふし》が勝手で気楽じゃまで……」
「恐れ入りまする。それならば思い立ったが吉日とやら。只今から直ぐにでも……」
「おお。それよ。善は急げじゃ」
 酒のまわり工合もあったであろう。さもな
前へ 次へ
全45ページ中7ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
夢野 久作 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング