を眩《くら》まして荷物を陸揚して、数十頭の駄馬に負わせた。陸路から伊万里《いまり》、嬉野《うれしの》を抜ける山道づたいに辛苦艱難をして長崎に這入ると、すぐに仲間の抜荷《ぬけに》買を呼集め、それからそれへと右から左に荷を捌《さば》かせて、忽ちの中《うち》に儲けた数万両を、やはり尽《ことごと》く為替にして大阪の三輪鶴《みわづる》に送り付けた。

 千六のこうした仕事は、その当時としては実に思い切った、電光石火的なスピード・アップを以て行われたのであった。
 果して、そのあとから正直な五島、神之浦《こうのうら》の漁民たちが海岸にコンナ荷物が棄ててありましたと云って、夥しい羅紗や宝石の荷を船に積んで奉行所へ届出たというので長崎中の大評判になった。これこそ抜荷の取引の残りに相違ないというので与力、同心の眼が急に光り出した。結局、五島の漁夫《りょうし》達が見たという○に福の字の旗印が問題になって、福昌号に嫌疑がかかって行ったが、その時分には千六は最早《もはや》長崎に居なかった。仲間の抜荷買連中と共に逸早《いちはや》く旅支度をして豊後国、日田《ひた》の天領に入込み、人の余り知らない山奥の川底《かわそ
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