え》って確かなもの。否応《いやおう》なしに千六の尻を押《お》いて金輪際、満月を身請させいでおこうものか。もし又、万が一にも、その期《ご》に及んで満月が二人の切ない情《こころ》を酌《く》まず、売女《ばいた》らしい空文句を一言でも吐《ぬ》かしおって、吾儕《われら》を手玉に取りそうな気ぶりでも見せたなら最後の助。こっちは元より棄てた一生。一刀の下に切伏せて、この年月《としつき》の怨恨《うらみ》を晴《は》らいてくれるまでの事。所詮、それ位の役廻りにしか値打せぬ吾身の運命であったかも知れぬが……と、とつおいつ思案のうちに、旅支度という程の用意も要らぬ着のみ着のままの浪人姿。ブラリと立出づる吹晒《ふきさら》しの東海道。間道伝いに雪の箱根を越えて、下れば春近い駿河の海。富士の姿に満月の襟元を思い浮かめ、三保の松原に天女を抱き止めた伯竜《はくりゅう》の昔を羨み、駿府から岡部、藤枝を背後《うしろ》に、大井川の渡し賃に無《な》けなしの懐中《ふところ》をはたいて、山道づたいの東海道。菊川の宿場に程近く、後になり先になって行く馬士《まご》どものワヤク話を聞くともなく聞いて行くうちに、銀之丞はフト耳を引っ立てて
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