れ程の挨拶……か……刀の手前にも……捨てて……おかれぬわい。ええっ……」
 銀之丞の美しい眼尻には涙どころか、血が鈍染《にじ》んでいた。二人は思わず互いの両手を固く握り合っていた。その手を銀之丞は烈しく打振った。
「……千六殿……約束しょう。……イ……今から丸一年目に……イ……今一度、ここで会おう。それまでに二人とも、あの金丸長者を見返すほどの金子《かね》をこしらえよう。二人の力を合わせても、あの売女奴《ばいため》を身請《みうけ》しよう」
 千六は感激に溢るる涙を拭いもあえず首肯《うなず》いた。一層固く銀之丞の手を握り締めた。銀之丞は遥かに遠ざかった満月の傘を振りかえった。ギリギリと歯噛みをした。
「……やおれ……身請けした暁には、思い知らさいでおこうものか。ズタズタに切り苛《さいな》んで、青痰《あおたん》を吐きかけて、道傍《みちばた》に蹴り棄てても見せようものを……」
「シッ……お声が……」
 二人はそのまま人ごみに紛れて左右に別れた。大空の満月が花の上にさしかかる頃であった。

 銀之丞は東海道を江戸へ志した。
 思い迫って約束した一年の短かい間に、どうしたら望み通りの金が稼げるか
前へ 次へ
全45ページ中12ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
夢野 久作 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング