はためき。カラリコロリという木履《ぼくり》の音につれて今日を晴れと着飾った花魁衆の道中姿、第一番に何屋の誰。第二番に何屋の某《かれ》と綺羅《きら》を尽くした伊達《だて》姿が、眼の前を次から次に横切っても、人々は唯、無言のまま押合うばかり。眼の前の美くしさを見向きもせず。ひたすらに背後《うしろ》を背後をと首を伸ばし、爪立ち上って、満月の傘を待ちかねている気はいであった。
 銀之丞、千六の姿も、むろんその中に立交《たちまじ》っていた。よもや満月花魁が、俺達の顔を見忘れはしまい……あれ程の仲であったものを……という自惚《うぬぼ》れと、見咎められては生きながらの恥辱という後《うしろ》めたさとが一所《いっしょ》になった心は一つ。互いに後《あと》になり先になり、人垣を押しわけ押しわけ伸び上り伸び上りするうちに、先を払う鉄棒《かなぼう》の響。男衆の拍子木の音。囃《はや》し連《つ》るる三味線太鼓、鼓《つづみ》の音なぞ、今までに例のない物々しい道中の前触れに続いて、黒塗、三枚歯の駒下駄高やかに、鈴の音《ね》もなまめかしく、ゆらりゆらりと六法を踏んで来る満月花魁の道中姿。うしろから翳《かざ》しかけた大傘の紋処はいわずと知れた金丸長者の抱茗荷《だきみょうが》と知る人ぞ知る。鼈甲《べっこう》ずくめの櫛、簪《かんざし》に後光の映《さ》す玉の顔《かんばせ》、柳の眉。綴錦《つづれにしき》の裲襠《うちかけ》に銀の六花《むつばな》の摺箔《すりはく》。五葉の松の縫いつぶし。唐渡り黒|繻子《じゅす》の丸帯に金銀二艘の和蘭陀船《オランダぶね》模様の刺繍《ぬいとり》、眼を驚かして、人も衣裳も共々に、実《げ》に千金とも万金とも開《あ》いた口の閉《ふさ》がらぬ派手姿。蘭奢待《らんじゃたい》の芳香《かおり》、四隣《あたり》を払うて、水を打ったような人垣の間を、しずりもずりと来かかる折から、よろよろと前にのめり出た銀之丞、千六の二人の姿に眼を止めた満月は、思わずハッと立佇《たちど》まった。二人の顔を等分に見遣りながら、持って生れた愛嬌笑いをニッコリと洩らして見せた。
 魂が見る間にトロトロと溶けた二人は、腰の蝶番《ちょうつがい》が外《はず》れたらしい。眼を白くして、口をポカンと開いたまま、ヘナヘナとその場へ土下座して、水だらけの敷石の上にベッタリと並んで両手を支《つか》えてしまった。茫然として満月の姿を見上げたのであった。
 満月の愛嬌笑いは、いつの間にか淋しい、冷めたい笑顔に変っていた。二人の前で駒下駄を心持ち横に倒おして、土をはねかけるような恰好をしたと思うと、銀の鈴を振るようなスッキリとした声で、
「男の恥を知んなんし」
 とタッタ一言。白い腮《あぎと》を三日月のように反向《そむ》けて、眉一つ動かさず。見返りもせずに、裲襠《うちかけ》の背中をクルリと見せながら、シャナリシャナリと人垣の間を遠ざかって行った。あとから続く三味太鼓の音。漂い残す蘭麝《らんじゃ》のかおり。
「……満月……満月……」
 と囁やき交しながら雪崩《なだ》れ傾いて行く人雑沓《ひとごみ》の塵埃《ほこり》いきれ……。

 その中《うち》に両手の穢《よご》れを払いながら立上った二人の顔は、もう人間の表情《かおつき》ではなかった。墓の下からこの世を呪いに出て来た屍鬼《しにん》の形相であった。血の気のない顔に生汗《なまあせ》を滴《したた》らせ、白い唇をわななかせつつ互いの顔を睨み合って、肩で呼吸《いき》をするばかりであった。
「……こ……これが見返さいでいられましょうか」
 千六の両眼から涙がハラハラと溢れ落ちた。
「……こ……これ程の挨拶……か……刀の手前にも……捨てて……おかれぬわい。ええっ……」
 銀之丞の美しい眼尻には涙どころか、血が鈍染《にじ》んでいた。二人は思わず互いの両手を固く握り合っていた。その手を銀之丞は烈しく打振った。
「……千六殿……約束しょう。……イ……今から丸一年目に……イ……今一度、ここで会おう。それまでに二人とも、あの金丸長者を見返すほどの金子《かね》をこしらえよう。二人の力を合わせても、あの売女奴《ばいため》を身請《みうけ》しよう」
 千六は感激に溢るる涙を拭いもあえず首肯《うなず》いた。一層固く銀之丞の手を握り締めた。銀之丞は遥かに遠ざかった満月の傘を振りかえった。ギリギリと歯噛みをした。
「……やおれ……身請けした暁には、思い知らさいでおこうものか。ズタズタに切り苛《さいな》んで、青痰《あおたん》を吐きかけて、道傍《みちばた》に蹴り棄てても見せようものを……」
「シッ……お声が……」
 二人はそのまま人ごみに紛れて左右に別れた。大空の満月が花の上にさしかかる頃であった。

 銀之丞は東海道を江戸へ志した。
 思い迫って約束した一年の短かい間に、どうしたら望み通りの金が稼げるか
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