と……思案に暮るる一人旅。京外れで買うた尺八の歌口を嘗め嘗め破れ扇を差出しながら、宿場宿場の揚雲雀《あげひばり》を道連れに、江戸へ出るには出たものの、男振りよりほかに取柄のない柔弱武士とて、切取り強盗はもちろん叶《かな》わず。押借《おしが》り騙取《かたり》の度胸も持合わせず。賭博、相場の器用さなど、夢にも思い及ばぬまま、三日すれば止められぬ乞食根性をそのまま。京都とは似ても似付かぬ町人の気強さを恐れて、屋敷町や町外れの農家や小商人《こあきんど》の軒先をうろ付きまわり、一文二文の合力に、生命《いのち》をつなぐ心細さ。金儲けどころか立身どころか。派手な大小|印籠《いんろう》までも塩鰯と剥《は》げ印籠に取りかえる落ちぶれよう。稀《たま》には場末の色町らしい処で笠の中を覗き込んで馬糞《まぐそ》女郎や安|芸妓《げいしゃ》たちにムゴがられて、思わず収入《みいり》に有付いたり、そんな女どもの取なしで田舎大尽《いなかだいじん》に酒肴を御馳走され、一二番の戯れ小唄の御褒美に小袖、穿物、手拭なぞ貰うて帰る事もあり。そのほか役者衆に拾われかけたり、絵草子屋に売子を頼まれたりなぞ、色々な眼に出会うたものであったが、それでも女色にだけは決して近付かなかった。去る金持後家に見込まれて昼日中、引手茶屋に引上げられ、小謡いがまだ二三番と済まぬうちに脂切《あぶらぎ》った腕を首にさし廻わされた時なぞ、血相をかえて塩鰯をひねくりまわし、後退《あとしざ》りして逃げて来るという、世にも身固い、涙ぐましい月日が、いつの間《ま》にか夢のように流れて、早や笑うてくれる鬼もない来年の正月。約束の三月も程近い銀之丞が二十五の春となった。

 こうなれば最早《もはや》、致し方もない。僅か一年の間に大金を作ろうなぞと約束したのがこっちの愚昧《おろか》であった。浮世の風に吹き晒《さら》されてみればわかる。やはり他人《ひと》の云う通りに世の中は、思うたほど甘いものではないらしい。
 しかし約束は約束なれば是非に及ばぬ。満月の道中に間に合うように故郷へ帰らずばなるまい。播磨屋千六の顔を見ずばなるまい。千六は町人の事なれば、一年の間に一万両ぐらい儲けまいものでもない。もっとも町人の事なれば、そうなってみると、おのが身代が惜しゅうなって、気が摧《くじ》けていまいとは限らぬが、もしも、さような事になれば一文無しのこっちの方が、却《かえ》って確かなもの。否応《いやおう》なしに千六の尻を押《お》いて金輪際、満月を身請させいでおこうものか。もし又、万が一にも、その期《ご》に及んで満月が二人の切ない情《こころ》を酌《く》まず、売女《ばいた》らしい空文句を一言でも吐《ぬ》かしおって、吾儕《われら》を手玉に取りそうな気ぶりでも見せたなら最後の助。こっちは元より棄てた一生。一刀の下に切伏せて、この年月《としつき》の怨恨《うらみ》を晴《は》らいてくれるまでの事。所詮、それ位の役廻りにしか値打せぬ吾身の運命であったかも知れぬが……と、とつおいつ思案のうちに、旅支度という程の用意も要らぬ着のみ着のままの浪人姿。ブラリと立出づる吹晒《ふきさら》しの東海道。間道伝いに雪の箱根を越えて、下れば春近い駿河の海。富士の姿に満月の襟元を思い浮かめ、三保の松原に天女を抱き止めた伯竜《はくりゅう》の昔を羨み、駿府から岡部、藤枝を背後《うしろ》に、大井川の渡し賃に無《な》けなしの懐中《ふところ》をはたいて、山道づたいの東海道。菊川の宿場に程近く、後になり先になって行く馬士《まご》どものワヤク話を聞くともなく聞いて行くうちに、銀之丞はフト耳を引っ立てて、並んで曳かれて行く馬の片陰に近付いた。声高く話す馬士《まご》どもの言葉を一句も聞き洩らすまいと腕を組み直し、笠を傾けて行った。
 菊川の家並《やなみ》外れから右に入って小夜《さよ》の中山を見ず。真直に一里半ばかり北へ上ると、俗に云う無間山《むげんざん》こと倶利《くり》ヶ|岳《だけ》の中腹に、無間山《むげんざん》、井遷寺《せいせんじ》という梵刹《おてら》がある。この寺は昔、今川義元公が戦死者の菩提《ぼだい》のために、わざと風景のよい山の中腹に建てられたもので、寺領も沢山に附いておったが、その後、信長公、秀吉公、東照宮様と代が変って来るうちに、その寺領もなくなり、久しく無住の荒れ寺となって、妖怪《ばけもの》が出るというような噂まで立っていた。
 ところがツイ二三年前のこと、甲州生れの大工上りとかいう全身に黥《いれずみ》をした大入道で、三多羅和尚《さんたらおしょう》という豪傑坊主が、人々の噂を聞いて、一番俺がその妖怪《ばけもの》を退治《たいじ》てくれようというのでその寺に住《すま》い込み、自分でそこ、ここを修繕して納まり返り、近郷近在の無頼漢を集めて御本堂で賭博《ばくち》を打たせ、寺銭《て
前へ 次へ
全12ページ中4ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
夢野 久作 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング