大寺教授と相談してどこかの病院に奉公しろ。……な……わかったか」
 弟は私が押付けた紙幣の包みを手にもとらずに大声をあげた。
「いやですいやです。兄さん。死んじゃ厭です。……生きて……生きてて下さい生きてて下さい……」
 私はとうとう混乱してしまった。セグリ上げて来る涙を奥歯で噛締《かみし》めた。静かに弟の両腕を引離して寝台の上に座り直した。
「馬鹿……俺が自殺でもすると思っているのか。馬鹿……俺は一週間でも一時間でもいい、残っている生命《いのち》を最後の最後の一秒までも大切に使うんだ。それよりも早く大寺先生の処へ行って御礼を云って来い。お蔭で癌じゃない事がわかって、兄貴が喜んでおりますと、そう云って来い。……直ぐに行って来い」
「ハイ……」
 弟は柔順《すなお》にうなずいた。寝台の枕元に掛けたタオルに薬鑵の湯を器用に流しかけて、涙に汚れた顔をゴシゴシと拭い初めた。
「それから何でも冷静にするんだぞ。どんな事があっても騒ぐ事はならんぞ」
「ハイ……」
 弟は湯気の立つタオルの中でうなずいた。

 弟が出て行くと直ぐに私は大急行で寝巻を脱いで、永年着古した背広服に着かえた。手廻りの品々を
前へ 次へ
全55ページ中7ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
夢野 久作 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング