。河岸から小舟を雇っても水上署の眼を逃れる事は出来ない。多分河口には鋭い眼が光っている事であろう。
私は進退|谷《きわ》まった。目的を遂げずに罪人となって町を逍迷《さまよ》った揚句《あげく》行く先がなくなるとは何という不運な私であろう。
私は悠々と流るる河の水を眺めた。星の光りと、灯の明《あかり》と入り乱れて夢のように美しい。コンナ時に人間はふいと死ぬ気になるものか……と思いながら……。
「旦那。行きますか」
不意に私の背後《うしろ》で柔和な男のような声がしたので私はびっくりして振返った。美事な流線型の箱自動車が待っている。
私は黙って飛乗ったが、乗ってみると驚いた。運転手は女で、粗い縞の鳥打帽。バックミラー越しにチラリと見えたその下に私と同じの黒色鏡がかかって、ヤモリ色をしているその顔が私をチラリとニッコリと笑った。
「ドチラへ参りましょうか」
「どこでもいい、郊外へ出てくれ」
「エッ郊外……」
女運転手が可愛い眉をひそめた。どこかで見たような女だとは思ったが、この時はどうしても思い出せなかった。
「郊外は駄目なのかい」
「いいえ。何ですか、きょうは銀座で騒ぎがありましたの
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