その天神髯の斎藤さんの飲み友達で、町外れの一軒屋に開業している西木という独身の獣医が在る。その娘で去年女学校を出たばかりの才媛……だったか、どうだか知らないが、とにかくステキな別嬪《べっぴん》さんと、斎藤さんの息子の医学士と、早くから婚約が出来ていたんだね。博士になったら帰って来て父の業を継ぐ。同時に正式に結婚するという訳でね。よくある話だ。

 ところが去年の夏だ。六月だっけか暑い晩に、天神髯の斎藤さんが、親友の西木獣医の処へ押しかけて行って、娘さんのお酌で酒を飲んだ。鰯《いわし》のヌタに蒲鉾《かまぼこ》が肴《さかな》だったというが、二人とも長酒で、そんな場合はいつも徹宵《てっしょう》飲み明かすのが習慣だったので、娘さんは肴に心配をして近所の乾物屋から干鰯を買って準備していたというね。
 ところがその晩に限ってどうしたものか二人とも、宵の口から口論を初めて、十一時頃にはモウ寝てしまった。斎藤さんがこの西木獣医家の蒲団に寝たのはこの時が初めてだったそうだがね。
 議論は何でも国体に関する問題で、政党は必要だ。イヤ。不必要だ……といったような二人でよく遣る議論だったそうだが何しろ二
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