だ。
 君も知っているだろう。ツイ近くのB町に起った虎列剌《コレラ》事件を……知っているが立消えになったから真相は知らないと云うのか。警察に尋ねたけれどもわからない……ウンウン。わからない筈だ。あれは大きな声では云えないが警察と裁判所の大失態だからね。ちょうど去年の秋の大演習を控えて、行幸《ぎょうこう》を仰ごうという矢先だったもんだから県下一般、大狼狽を極めたらしいんだが、ソイツが立消えになった。そのまま行幸を仰いだというのだから、ドチラにしても責任は重大だろう。たしか県会で、警察当局が真相を質問されて、ギュウギュウ云わされたって話だ。
 その真相というのは実に他愛のない、一場のナンセンス劇みたいなもんだがね。
 君も知っている通り、B町っていうのは田舎のちょっとした町だ。あれで人家が二百戸ぐらい在るかなあ。
 あの町の中央の警察署の隣家《となり》に斎藤という、長い天神髯を生やした開業医がある。年はもう六十近かったがナカナカ人格者という評判でね。五十ぐらいの奥さんと二十五六の一人息子の三人暮しだ。この一人息子は当大学出身の医学士で、M内科の副手になって論文を書いている秀才……という訳だ
前へ 次へ
全18ページ中5ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
夢野 久作 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング