獣医の家《うち》へ行ってお酒を飲んではいけませぬ。生命にかかわります」
とか何とか……。
ところが日本の田舎ではナカナカそうは行かない。
……毒殺※[#感嘆符三つ、43−8]……という感じが、この報告を聞いた刹那にB署員の頭にピインと来たんだね。そこで早速、内偵を進めてみると、生憎《あいにく》なことに獣医の西木さんは五六年前の開業当時に、斎藤先生から大枚二千何百円の借金をしている。それが一文も這入っていない……という事実が、斎藤さんの後家さんの口から判明した。斎藤の後家さんは、その刑事から聞いた話に非常に憤慨して、大急行で帰って来た息子の医学士を、斎藤さんの霊前に引据えると、刑事の面前で、
「ソンナ悪人の娘は、お前の嫁に貰う訳に行かぬ」
と涙ながらに申渡すという劇的シインが展開してしまった。
ソレッ……というので文句なしに西木獣医が引っぱられる。裁判所から予審判事が急行する。
斎藤さんの死骸は今一度大消毒の上、大学に廻されて解剖の手続きをする。そのゴタゴタの真最中に、馬鹿な話で、斎藤の息子の医学士と西木の娘が、厳重な青年団員の警戒をドウ誤魔化《ごまか》したものか手に手を取ってB町駅から入場券を買ってドロンを極《き》めてしまった。上り列車に乗ったか下り列車に乗ったか、列車が行き違ったのでわからない……という言語道断な騒動になった。万一これが毒殺事件でなくて、真正の虎列剌《コレラ》だったらトテモ重大な黴菌だらけの道行だからね。B町の署長と町長は神様に手を合わせて、
「ドウゾ毒殺事件でありますように……」
と一心籠めて祈ったという話だが、同情に堪えないね。どうも若い者はコンナ風に思慮がなくて困るんだ。
そこでその息子の斎藤医学士が居た当大学のM内科でも棄てておけなくなった。M内科部長が事件後四日目か、五日目に、ヒョッコリ吾輩の処へ遣って来て、実はこれこれの事件だが、何とか一つ解決の方法はなかろうかという折入っての話だ。斎藤医学士はトテモ頭がよくて将来惜しい男だ。論文が通過したら何とかして洋行させたいと思っていたところなんだが……と暗涙を浮かべている。師弟の温情|掬《きく》すべし……という訳だね。
吾輩はその時に初めて詳しい話を聞いたんだが、どうも可笑《おか》しいと思ったよ。毒殺の動機が二千円にしてもアトには後家さんと証文が残っているんだから斎藤さんだけ殺したって何にもならん。国賊という意味で昂奮のあまり殺したにしても酒の中へ毒を入れる役は差詰め西木の娘さんだけだろうが、それもどうやら話がおかしい……といったような気がしたもんだから、取りあえず県の衛生課へ電話で問合わせてみると、
「斎藤医師の嚥下した毒物は目下分析中」
という愛想《あいそう》もコソもない返事だ。ナアニ、分析中でも何でもない。放ったらかしていたらしいんだ。「馬鹿にしてやがる。虎列剌《コレラ》でも何でもないものを……」といった調子だったのだろう。「虎列剌《コレラ》菌なし。酸性反応云々」までは顕微鏡とリトマスだけで直ぐにわかる。仕事が極めて簡単だが、アトの分析はナカナカ面倒臭いからね。県の役人なんてものは、こうした臨時の仕事となると、いつもいい加減にあしらうものらしいんだ。
そこで吾輩は止むを得ず、その翌日《あくるひ》の土曜日の休講を利用して、ブラリとB町の西木家へ出張してみた。M内科部長の温情に敬意を払ってね。実は斎藤さんの死骸を解剖した方が早わかりなんだが、どこに引っかかっているのか、まだ看《み》なかったし、酒を飲んだ現場《げんじょう》を見たり、後家さんの話を聞いたりしておけば解決が早いと思った訳だ。……というと大層立派な御出張のようだが、しかし公式の責任はチットもないんだから、何の事はない一種の弥次馬だろう。フロックコートを着た……。
西木家を監視していた警官も、青年団員も、名刺を出すと訳なく通してくれたが、狭い穢《きた》ない家だった。四|間《ま》ぐらいの土低い普通の百姓家で、あまり流行《はや》っていない獣医さんの家《うち》らしかったが、ホルマリンと生石灰の臭気の非道《ひど》いのには弱らされたよ。
青年団員に間取りを聞いた吾輩は、ハンカチで鼻を蔽いながらイキナリ薬局に這入って行った。実は吾輩、獣医の薬局なるものを見た事がなかったのでね。ドンナ薬と道具が、ドンナ工合に並んでいるものか後学のために見ておきたかったのだ。序《ついで》にドンナ毒物が使用されたかもアラカタ見当が付くだろうと考えていた。
実は娘さんが居ると色々聞いてみたい事が在ったんだが、際どいところでドロンを極め込んでいるもんだから何もかも盲目《めくら》探り同然だ。弥次馬探偵、弱ったよ……まったく……。
ところが案ずるよりも生むが易いとはこの事だね。みんな虎列剌《コレラ》を怖
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