無系統虎列剌
夢野久作
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)這入《はい》った
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)御免|蒙《こうむ》ろうよ。
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)毒殺※[#感嘆符三つ、43−8]
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法医学者の不平を話せ。新聞に書くからって云うのかね。
アハハハハ。御免|蒙《こうむ》ろうよ。不平が云いたい位なら最初からコンナ仕事に頭を突込みやしないよ。モトモト物好きで這入《はい》った研究なんだから今更、不平を云ったって初まらないだろう。新聞になんか書かれたら、いい恥晒《はじさら》しだぜ。書いちゃいけないよ。いいかい。
ウン。といってそれあ在るには在るよ。
第一法医学なんていう名前からして不平だ。コンナ馬鹿馬鹿しい名前はないよ。
たしか明治二十四五年頃に、大先輩の片山先生が附けられた名前だと思うが、悪く云っちゃ相済まないんだがね。その前には鑑定医学、断訴《だんそ》医学、裁判医学なんて呼ばれていたもんだ。むろんソンナ名前の一つだって吾々の仕事を引っくるめた意味を含んだものはない。名前なんてドウでもよさそうなもんだが、妙なもんだね。自分の仕事を意味しない名前の学問を研究していると、石炭掘りに来て芋を掘らせられるような気がするよ。
現在当大学では吾輩の監督の下に、解剖、血清、細菌、検診、毒物、精神病、心理、詐病《さびょう》鑑定、災害検診なんて仕事を研究しているにはいるんだが……この範囲なら「法医学」と名附けられても文句はないんだが、それ位の研究じゃナカナカ責任は果されないんだ。
要するに、あらゆる科学智識を、百科全書式に応用して、法律上の諸問題を解決するっていうんだから、手ッ取早く云えば所謂《いわゆる》、名探偵の助手みたいなもんだよ。
小説なんかに出て来る西洋の名探偵は、吾々が大勢がかりで、手を分けて研究している仕事をタッタ一人で研究し、知りつくしているんだから驚くよ。ソンナ頭脳《あたま》がこの世に在り得るか、どうかという事からして問題だと思うがね。しかも、そいつを非常な機智と胆才でもって犯罪事件に応用して、的確に事件の真相を看破して行くんだから、名探偵の仕事ってものは頗《すこぶ》る痛快な仕事に相違ないがね。吾々の仕事となるとナカナカそうは行かないんだ。医学関係の問題だけでも研究の余地が無限に拡がっているのに、医学以外のありとあらゆる不可思議現象に対して、責任ある断定を下さなければならないから往生するよ。
チョット呼ばれて裁判所に行っていると、この証文の墨色の真偽を鑑定しろと来るんだ。マルッキリ医者の仕事じゃないやね。
この帽子を冠った奴の職業と年齢を問う。この蠅は生後何箇月ぐらいで如何なる処に発生したるものなりや……なんかと来る。今に火星人類の指紋の有無を尋ねられるんじゃないかと思ってビクビクするね。しかもそのたんびに宣誓させられるんだから遣《や》り切れないよ。法医学部専門の大英百科全書を買ってくれと、毎年毎年予算に出してはいるがね。ナカナカ買ってくれないので困っているんだ。イヤ、笑いごとじゃないんだよ。大英百科全書を引っくり返せば直ぐにわかる事を、ワザワザ吾輩の処へ尋ねに来る裁判所や、警察があるんだからね。チョイチョイ……。
その癖、鑑定は鑑定だけで、事件の真相になんか触れさせないまま追払《おっぱら》われる事が、極めて多いんだ。吾々に支払う蚊の涙ほどの鑑定料が惜しいのかも知れないが、余計なところには一切|喙《くちばし》を容《い》れさせないのだから詰まらない事|夥《おびただ》しい。
吾々だって人間だあね。紛糾した事件の一端を聞くと、直ぐに事件の真相に突込みたくならあね。憎い犯人をタタキ上げてみたくもなろうじゃないか。それを犯人の足跡の鑑定だけさせられて追払《おっぱら》われたんじゃ、鰻丼《うなぎどんぶり》の臭いだけを嗅がされたようなもんだ。
悪く云う訳じゃないが、裁判官だの、警察官なんてものは、めいめいに自分の専門の法律とか、犯罪に対する第六感とか、多年の経験とかいう、所謂、犯罪関係の高等常識ばかりに凝《こ》り固まっているんだから、普通一般の社会に関する高等常識にはドッチかというと欠けている傾きがあるね。
たとえば若い女が自殺したと聞くと、直ぐに恋愛関係じゃないかと疑いをかける。ストライキを起すとスワコソ社会主義という風に、手近い経験から来た概念的な犯罪常識をもって、一直線に片付けて行こうとする癖があるようだね。だから、その概念が間違っていたら運の尽きだよ。事件は片《かた》ッ端《ぱし》から迷宮に這入って行くんだからね。
コンナ事件があるん
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