怖に襲われたのではないかと思われるのです」
「……或る恐怖……」
「さよう……つまり実際には居ない、或る怖《おそ》るべき敵を、雪の中に認めて、その敵と闘うべく、二発の散弾を発射されたものではないかと考えられるのです。そうすれば一切の事実が何等の不自然も無しに……」
「……チョット待って下さい」
 と健策は片手をあげた。次第に不安げな表情にかわりながら……。
「その怖るべき敵と云われるものの正体は何ですか……たとえば一種の精神病的な幻覚みたようなものですか」
 黒木はキッパリとうなずいた。
「さよう……その幻影は要するに、実松氏固有の脅迫《きょうはく》観念が生んだ、ある恐ろしいものの姿だったに違いありません。鳥だか、獣《けもの》だか、何だかわかりませんが……」
 健策は愕然《がくぜん》となった。何事か思い当ったらしく唾液《つば》を嚥《の》み込み嚥み込みした。しかし黒木は構わずに話を続けた。
「実松氏はその幻影と闘うべくレミントンの火蓋を切られたのです。しかし、もとより実際に居ない敵なのですから、いくら散弾でも命中する気づかいはありません。敵は益々眼の前に肉迫して来ましたので、実松氏は恐怖
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