めと、この三つに限って、無限のゼイタクを許されている訳です。私はこの十円の帽子のお蔭で、大きな悟りを開く事が出来ました。その記念と思ってドウゾこの帽子を冠って下さい」
 お祖父様は、その後《のち》、前記の洋傘《こうもり》と、鼈甲縁の折畳眼鏡と、ラッコの帽子を大自慢にして外出されるようになった。そうして到る処で父の自慢話を初められるのを、いつもお供していた私は、子供心に又初まったと思い思い聞いていた。
 但「染め得たり西湖、柳色の衣」という一句は、たしか唐詩選の中に在ると思っているが、まだ調べていない。意味も何もわからないまま、口調がいいのと、父が力を籠《こ》めてくり返しくり返し云っていたので、その当時から暗記しているだけの事である。

 それから私が五六歳の頃になると、父が久しく帰らず、家が貧窮の極に達していたらしい。住吉の堂々たる住宅から、博多|鰯町《いわしまち》、旧株式取引所裏のアバラ屋に移って、母は軍隊の襯衣《シャツ》縫いや、足袋《たび》の底刺しで夜の眼も合わさず、お祖母さまと当時十七八であった父の妹のかおる伯母の二人は押絵《おしえ》作りにいそしみ、彩紙《いろがみ》や、チリメンの
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