《やといにん》の小母《おば》さんが泣きながら電報を持って走って来た。
「チチノウイツケツスクコイ」
 私は一所《いっしょ》に見物していた中学生の子供二人と一所にタクシーで家に帰り、妻に金の準備を命じ、そのままの服装で、ポケット四書と丘浅次郎氏の進化論講話を携えて又もタクシーに飛乗り全速力で博多駅に駈けつけ、富士に乗後《のりおく》れてサクラに間に合った。
 途中小郡で東京に病状を問合わせ、糸崎で返電を受取った。
「ジウタイノママジゾクセリ」
 私は直ぐに持久戦を覚悟した。中風で重態のまま三箇月も持続した例を知っていたから……。
 それからグッスリと眠った。不思議なほど安眠した。そうして姫路で眼がさめた。それから先の一日の永かったこと。

 東京駅に着いて父が意識不明の病状をハッキリ聞いた時に初めてガッカリした。そうして、そのままの心理状態を今日まで持続している。

 翌朝、七月十九日の午前十時二十二分に三年町の自宅自室で父が七十二歳の息を引取った時、私は脱脂綿を巻いた箸《はし》と、水を容れたコップの盆を両手に支えて、枕頭に集まっていた数十名の人々に捧げ、父の唇を濡らしてもらったが、私は金
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