母は非常に喜んでくれた。

 明治四十一年兵として近衛歩兵第一聯隊に配属された私は、極度の過労と、慣れない空気のために見る見る弱り果てて、とうとう第一期の検閲直前に肺炎で入院した。その四十度の高熱の中に、その頃の最新流行の鼠色の舶来|中折《なかおれ》を冠って見舞に来た父の厳粛そのもののような顔を見て、私はモウ死ぬのかなと思った。
「貴様が死なずに少尉になって帰って来たら、この帽子を遣る」
 と父は云った。私は病床でその帽子を冠って、ちょうどいいかどうかを試みながら、是非なおって見せる……この帽子を冠らずには措《お》かぬと心に誓った。
「直樹(私の旧名)の奴は俺の子供だけにダイブ変っている。死にかかっていても、油断のならぬところがある」
 とその直後に母に語った……と母から聞いた時、私は息苦しい程赤面させられた。

 軍隊を出ると体力に自信が出来たので九州に下って地所を買い(現在の香椎村)果樹園を営んだ。その時にも私が思わず赤面するような事を他人に語ったそうである。
「彼奴《あいつ》は全く油断のならぬ奴だ。抵当に這入っている地面を無代価みたようにタタキ落して買うような腕前をいつの間に養っ
前へ 次へ
全28ページ中20ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
夢野 久作 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング