。
……爆弾《ハッパ》の出先は何といっても九州の炭坑《やま》が第一です。一本十銭か十五銭ぐらいで坑夫に売るのですが、その本数を事務所で誤間化《ごまか》して一本三十銭から五十銭で売り出す……ズット以前の取引ですと手頃の柳行李《やなぎこうり》に一パイ詰めた奴を、どこかの横路次で、顔のわからない夕方に出会った鳥打帽子のインバネス同志が右から左に、無言《だんまり》で現金《げんナマ》と引き換える……だから揚げられても相手の顔は判然《わか》らん判然らんで突張り通したものですが、今ではソンナ苦労はしません。電車や汽車の中で大ビラに鞄《かばん》を交換するのです。……売る奴は大抵炭坑関係かその地方の人間で、買う奴は専門の仲買いか、各地の網元の手先です。そんな連中の鞄の持ち方は、仲間に這入っていると直ぐにわかりますからね。以心伝心で、傍に寄って来て鞄を並べておいてから、平気な顔で煙草の火を借りる。一所《いっしょ》に食堂に行って話をきめる。途中の廊下で金を渡して、駅に着いてから相手の鞄を片手に……左様《さよう》なら……と来るのが紋切型《もんきりがた》です。三等車で遣ってもおなじ事ですが、決して間違いはありません。一度でもインチキを遣った奴は、永い日の目を見た例《ためし》がありませんからね。
……そんな仲買連中は若松や福岡にもポツリポツリ居るには居ります。しかしそんな爆薬のホントウに集まる根城というのが、四国の土佐海岸だという事は、いかな轟《とどろき》先生でも御存じなかったでしょう。今の貴族院の議員になって御座る赤沢という華族様の生れ故郷と申上げたら、おわかりになりましょうが、昔から爆弾《ドン》村と云われた処で、今の赤沢様が、その総元締をして御座るのです。その又、総元締の配下になって御座る大元締というのが、やはり日本でも指折りの豪《えら》い人達ばっかりですが、その人達の手から爆弾《ドン》村へ集まって来た爆薬が、チッポケな帆舟《ほまえ》に乗って宇和島をまわって、周防灘から関門海峡をノホホンで通り抜けます。昨日《きのう》の朝の西南風《にしばえ》なら一先ず六連沖《むつれおき》へ出て、日本海にマギリ込みましょう。それから今朝《けさ》の北東風《きたこち》に片尻をかけて、ちょうど今時分、釜山沖へかかる順序ですが……ホーラ御覧なさい。あの馬山《ばさん》通いの背後《うしろ》から一艘、二艘……そのアトから追付いて来る足の速いのも……アノ三艘の片帆の中で、どれでもええから捕まえて、船頭と話して御覧なさい。四国|訛《なま》りじゃったら舟の中に、一|梱《こり》や二|梱《こり》の爆薬《ハッパ》は請合います。松魚《かつお》の荷に作ってあるかも知れませんが、あの乾物屋さんに宛てた送り状なら税関でも大ビラでしょう。荷物を跟《つ》けてみたら一ぺんにわかる事です。
……そのほかに爆薬《ハッパ》の出る処は、大連《たいれん》と上海《シャンハイ》ですが、上海のは大きい代りに滅多に出ません。おまけに英国か仏蘭西製《フランスでき》の上等品で、高価《たか》い上に使い勝手が違うのが疵《きず》です。大連のはやはり日本の桜印か松印ですが、これは大連から逆戻りして来る分量よりも、奥地へ這入る分量の方がヨッポド大きい。……どこへ落ち付くのか用が無いから探っても見ませんが、大連、営口《えいこう》から、満洲の奥地へ這入る爆薬《ハッパ》は大変なものです。その中の一箱か二箱がタマに抜け出して朝鮮へ来るので、ドウカすると内地のものより安い事があります。これは支那の兵隊か役人が盗んで来たものだそうですが、それだけに油断も出来ません。非道《ひど》い奴になると玉蜀黍《とうもろこし》の喰い殻に油を浸《した》した奴を、柳行李一パイ百円ぐらいで掴まされた事があるそうです。
……ところでイヨイヨ朝鮮内地に来ますと、ソンナ爆薬《ハッパ》の集まる処が、この釜山の外に二三箇所あります。
……慶北の九龍浦《きゅうりゅうほ》は何といっても釜山の次でしょう。もっとも釜山に来た爆薬《ハッパ》は、あのお屋敷の地下室に這入るだけですが、九龍浦の方はチット乱暴で、人里離れた海岸の砂の中に埋めて在るのです。私が今度、こんな目に会いましたのも、多分、この案内を嗅ぎ付けた事を知って、釜山の方へ手《ズキ》をまわしたのでしょう。
……それから九龍浦の次は浦項《ほこう》と江口《こうこう》で、ここは将来有力な爆薬《ハッパ》の根拠地《たまり》になる見込みがあります。この三個所は釜山と違って、巡査か警部補ぐらいが駐在している処ですから、丸め込むにしても大した手数はかからんでしょう。裁判所の連中でも、みんな美味《うま》い事をしておりますので、その地方地方での一番の有力者が皆、爆薬《ドン》の元締になっているのですから世話が焼けません。……そのほか四五月頃の巨文島《きょぶんとう》、五、六、七月頃の巨済島《きょさいとう》入佐村《いりさむら》、九、十、十一月の釜山、方魚津《ほうぎょしん》、甘浦《かんぽ》、九龍浦、浦項、元山《げんざん》方面へ行って御覧なさい。先生のように爆薬漁業《ドン》を不正漁業なんて云っている役人は一人も居りませんよ。ドン大明神様々というので、駐在巡査でも一身代《ひとしんだい》作っている者が居る位です。尋常に巾着《きんちゃく》網や、長瀬《ながせ》網を引いている奴は、馬鹿みたようなもんで……ヘエ……。
……そのほかに爆薬の出て来る処は無いか……と仰言《おっしゃ》るのですか。ヘエ。それあ在るという噂は確かに聞いておりますが、本当か虚構《うそ》かは私も保証出来ません。つまりそこ、ここの火薬庫の主任が、一生一代の大きなサバを読んで渡すことがあるそうで、古い話ですが大阪や、目黒の火薬庫の爆発はその帳尻を誤魔化《ごまか》すために遣ったものだとも云います。そのほか大勢で火薬庫を襲撃した事件も在ると申しますがドンナものでしょうか。新聞には出ていたそうですが……。
……そんな大物の捌《は》け口が、ドン方面ばっかりで無い事は保証出来ます。露西亜《ロシア》や、支那に売込んで行く様子も、この眼で見たんですからいつでも現場に御案内致しますが、しかし値段のところはちょっと見当が付きかねます。何でも長城《ちょうじょう》から哈爾賓《ハルピン》を越えると爆薬《ハッパ》の値段が二倍になる。露西亜境の黒龍江《こくりゅうこう》を渡ると四倍になるんだそうですが、これは拳銃《ピストル》でも何でも、禁制品《やかましいもの》はミンナ同じ事でしょう。売国行為だか何だか存じませんが、儲かる事は請合いで……エヘヘヘヘヘヘ……」
黙って聞いていた吾輩は、この笑い声を聞くと同時に横ッ腹からゾーッとして来たよ。話の内容がアンマリ凄いのと、思い切りヒネクレた友吉|親仁《おやじ》の、平気な話ぶりに打たれたんだね。吾輩はその時にドッカリと椅子にヘタバリ込んだ。腕を組んで瞑目沈思したもんだ。気を落付けようとしたが武者振いが出て仕様がなかったもんだ。
しかしその中《うち》に机《テーブル》を一つドカンと敲《たた》いて決心を据えると吾輩は、友吉親子を連れてコッソリと××を脱け出した。何よりも先に対岸の福岡県に馳け付けて旧友の佐々木知事を説伏《ときふ》せて、出来たばっかりの警備船、袖港丸《しゅうこうまる》を試運転の名目で借り出した。速力十六|節《ノット》という優秀な密漁船の追跡用だったが、まだ乗組員も何も定《き》まっていなかった。こいつに油と食糧を積込んで、友吉親子に操縦法を仕込みながら西は大連、営口から南は巨済島、巨文島、北は元山、清津《せいしん》、豆満江《とまんこう》から、露領沿海州に到るまで要所要所を視察してまわること半年余り……いかな太っ腹の佐々木知事も内心大いに心配していたというが、それはその筈だ。電報一本、葉書一枚行く先から出さないのだからね。大いに謝罪《あやま》ってガチャガチャになった船を返すと、その足で釜山に引返して、友吉親子もろ共に山内閣下にお目にかかった。むろん官邸の一室で、十時|過《すぎ》に勝手口から案内されたもんだが、思いもかけない藁塚《わらづか》産業課長が同席して、吾輩と友吉おやじの視察談を、夜通しがかりに聞き取ってくれたのには感謝したよ。友吉親子一代の光栄だね。
その結果、藁塚産業課長が急遽《きゅうきょ》上京して、内務省、司法省、農商務省、陸海軍省と重要な打合わせをする。その結果、朝鮮各道の警察、裁判所に厳重な達示が廻わって、銃砲火薬類取締の粛正、不正漁業徹底|殲滅《せんめつ》の指令が下る。しかも総督府から指導のために出張した検事正や、警視連の指《ゆびさ》す処が一々不思議なほど図星《ずぼし》に中《あた》る。各地の有力者が続々と検挙される。その留守宅の床下や地下室、所有漁場の海岸の砂ッ原、岩穴の奥、又は妾宅の天井裏や泉水の底なぞから、続々証拠物件が引上げられるという、実に疾風迅雷式の手配りだ。ここいらが山内式のスゴ味だったかも知れないがね。
それあ嬉しかったとも……吹けば飛ぶような吾々の報告が物をいい過ぎる位、いったんだからね。
しかしソンナ事はオクビにも出せない。むろん総督府の方でも御同様だったに違いないが、その代りに今後、爆薬漁業の取締に就《つ》いて、万事、漁業組合長、轟技師の指導を受くべし……といったような命令が、各道の官庁にまわったらしい。吾輩の講演を依頼する向きがソレ以来、激増して来たのには面喰った。一時は、お座敷がブツカリ合って遣り繰りが付かないほどの盛況を逞《たくましゅう》したもんだ。流石《さすが》のドン様ドン様連中も、最早《もはや》イケナイと覚悟したらしいんだね。実に現金な、浅墓《あさはか》な話だとは思ったが、しかし悪い気持ちはしなかったよ。とにもかくにもソンナ調子で南鮮沿海からドンの声が消え失せてしまった。それに連れて沿岸から遠ざかっていた鯖の廻遊が、ダンダンと海岸線へ接近し初めたので、漁師連中は喜ぶまいことか……轟様轟様……というので後光がさすような持て方だ。
吾輩の得意、想うべしだね。「ソレ見ろ」というので友吉おやじと赤い舌を出し合ったが、これというのも要するに、あの呑兵衛|老医師《ドクトル》のお蔭だというので、三人が寄ると触ると、大白《たいはく》を挙げて万歳を三唱したものだ。
ハッハッ……その通りその通り。どうも吾輩の癖でね。じきに大白を挙げたくなるから困るんだ。汝《なんじ》元来一本槍に生れ付いているんだから仕方がない。スッカリ良い気持になって到る処にメートルを上げていたのが不可《いけ》なかった。思いもかけぬ間違いから自分の首をフッ飛ばすような大惨劇にぶつかる事になった。ドン漁業に対する吾輩の認識不足が、骨髄に徹して立証される事になったのだ。
……どうしてって君、わからんかね……と……云いたいところだが、そういう吾輩も実をいうと気が付かなかった。朝鮮沿海からドンの音が一掃されたので、最早《もはや》大願成就……金比羅《こんぴら》様に願ほどきをしてもよかろう……と思ったのが豈計《あにはか》らんやの油断大敵だった。ドンの音は絶えても、内地の爆弾取締りは依然たる穴だらけだろう。ちっとも取締った形跡が無いのだ。藁塚産業課長の膝詰《ひざづめ》談判が、今度は「内地モンロー主義」にぶつかっていた事実を、ドンドコドンまで気付かずにいたのだ。
その証拠というのは外でもない。山内さんが内地へ引上げて内閣を組織されるようになった大正五年以後、折角《せっかく》、引締まっていた各道の役人の箍《たが》がグングン弛《ゆる》んで来たものらしい。それから間もなく大正八年の春先になると、一旦、終熄《しゅうそく》していた爆弾《ドン》漁業がモリモリと擡頭して来た。……一度|逐《お》い捲くられた鯖の群れが、岸に寄って来るに連れて、内地から一直線に満洲や咸鏡北道《かんきょうほくどう》へ抜けていた爆薬が、モウ一度南鮮沿海でドカンドカンと物をいい出すのは当然の帰結だからね。おまけに今度は全体の遣口《やりくち》が、以前よりもズット合理的になって来たらしく、友吉|親仁《おやじ》の千里眼、
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