爆弾太平記
夢野久作

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)斎木《さいき》

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)二百二十|日《か》だよ。

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   (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#「┐」を全角大とした、屋号を示す記号、240−14]
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 ……ああ……酔うた酔うた。
 ……どうだ斎木《さいき》……モ一つ行こう。脊髄癆《カリエス》ぐらい酒を飲めば癒るよ。ちょっとも酔わんじゃないか君は……。
 ナニ……恐ろしい暴風雨《しけ》だ?……。
 ウン。近来珍らしい二百二十|日《か》だよ。夜半《よなか》過ぎたら風速四十|米突《メートル》を越すかも知れん。……おまけにここは朝鮮最南端の絶影島《まきのしま》だ。玄海灘と釜山《ふざん》の港内を七分三分に見下ろした巌角《がんかく》の上の一軒家と来ているんだからね。一層風当りがヒドイ訳だよ。……世界の涯に来たような気がする……ハハハ。しかしこの家《うち》なら大丈夫だよ。その覚悟で建てた赤|煉瓦《れんが》の温突《おんどる》式だからね。憚《はばか》りながら酒樽と米だけは、ちゃんとストックして在るんだ。十日や十五日シケ続けたって驚かないよ。ハハハ……。
 イヤ。よく来てくれた。吾輩の竹馬の友といったら、今では君一人なんだからね。もう一人居た福岡県知事の佐々木が、ツイこの間死んでしまったからね……ウン。太っ腹ないい男だったが、可愛相な事をしたよ。何でも視察旅行の途中で、自動車もろ共、谷へ落ちたというんだが、人間、何で死ぬか知れたもんじゃないね。……しかも、その跡に残ったタッタ一人の君が二十年振りに、貴重な静養休暇を利用して、この天涯の素浪人、轟雷雄《とどろきなるお》の隠れ家を叩きに来ようとは思わなかったよ。
 イヤ……実に意外だった。君の顔を見た瞬間に、故郷の禿山《はげやま》が彷彿《ほうふつ》として眼前に浮んだね。イヤ。禿《は》げているから云うんじゃない……アハハハ。今夜はこの風を肴《さかな》に飲み明かそうじゃないか。お互いに「頭禿げてもお酒は止まぬ」組だったじゃないか。ハッハッハッ。風が凪《な》いだら一つ東莱《とうらい》温泉へ案内しよう。あすこでモウ一度|俗腸《ぞくちょう》を洗って、大いに天下国家を……。
 ナニ……吾輩が首になった原因を話せと云うのか……。
 ハハハハ。それあ話しても宜《え》え。吾輩としては俯仰《ふぎょう》天地に愧《は》じない事件で首を飛ばされたんだから、イクラ話しても構わんには構わんが、しかしだ。君はホントウに吾輩の云う事を事実と信じて聞いてくれるかね。エエ……?……。
 イヤ。失敬失敬。それはわかっとる。重々わかっとる。君が吾輩を信じてくれる事はトコトンまで疑わんが、しかしそれでも吾輩の休職の裏面に潜む事件の真相なるものが、到底、常識では信ぜられんくらい悽愴《せいそう》、惨憺《さんたん》、醜怪、非道を極めたものがあるから、特に念を押す訳だよ。
 手早い話が、吾輩の首をフッ飛ばした事件の真相を突込んで行くと一つのスバラシイ復讐事件にブツカッて来るんだ。しかもその事件の主人公というのは、吹けば飛ぶような貧乏|老爺《おやじ》に過ぎないのに、その相手というと南朝鮮各道の検事、判事、警察署長、その他の有力者六十余名というのだから容易じゃないだろう。……のみならず、その復讐事件の真相なるものをモウ一つ奥の方へ手繰《たぐ》って行くと、現在、内地朝鮮の官界、政界、実業界に根強い勢力を張り廻わしている巨頭株の首を珠数《じゅず》繋ぎにしなければならぬという、日本空前の大疑獄が持ち上って来る事、請合いだ。……しかもソイツが又、全国の爆薬取締に関する重大秘密から、社会主義者、不逞鮮人の策動に引っかかって行く。もしくは張作霖《ちょうさくりん》、段祺瑞《だんきずい》を中心とする満洲、支那政局の根本動力にまで影響するかも知れんという……実に売国奴以上に戦慄すべき彼等、巨頭株連中の非国家的行為が、真正面から蜂の巣を突っついたように、曝露《ばくろ》して来るかも知れないんだが……それでも構わんか……君は……。
 もちろんこれは吾輩一流の酔った紛れの大風呂敷じゃないんだぜ。相手が普通の人間なら兎も角だ。農商務大臣と製鉄所長官の首を一度に絞めて、前内閣を引っくり返した堅田《かただ》検事総長から、懐刀《ふところがたな》と頼まれている斎木検事正のお耳に、この話が這入《はい》ったとなると問題だろう。メッタにお聞き棄てにならん事を、知って知り抜いて饒舌《しゃべ》りよるのじゃが宜《え》えか。
 アッハッハッハッハッ。イヤ。決してオベッカじゃないよ。持ち上げよるでも何でもない。シラ真剣の打明け話だ。……フウン。多分ソンナ事じゃろうと思うてワザワザ訪ねて来た……ウンウン。流石《さすが》は商売人だけある。アハハハ。イヤ。馬鹿にしとる訳じゃない。そんなら尚の事、話し甲斐《がい》があるんだ。……実は吾輩もこの問題に就《つ》いては千秋の遺恨を含んでいるんだからね。今云った朝野の巨頭連は、馬鹿正直な吾輩一人を蹴落して、自分等の不正事実を蔽い隠そうと試みているのだ。吾輩の事業の隠れたる後援者であった山内正俊閣下が、去年の十一月に物故されて以来、吾輩が木から落ちた猿同然、手も足も出なくなっている事を、彼奴《あいつ》等はチャンと知っていやがるんだ。彼奴《きゃつ》等の肉を裂き、骨をしゃぶっても飽き足りない思いを抱きながら吾輩は、この釜山港口、絶影島《まきのしま》の一角に隠れて、自分の食う魚を釣っていたんだ。
 ナニ……何だって。君の今度の旅行は、そのための秘密調査が目的だ……? 温泉巡りとは真赤な偽り……脊髄カリエスの静養休暇は検事総長と打合わせた芝居に過ぎん……?
 ……エエッ……何という。ホントウかいそれあ。ヘエ――ッ……。
 こいつは一番、驚いたね。いくら何でも、チイット炯眼《けいがん》過ぎやせんか……それは……。
 何を隠そう吾輩は現在、この事件に関する詳細な報告書をあの机の上に書きかけとるんだ。しかしこれほどの怪事件はチョイトほかに類例が無いし、問題が又ドエラク大きいもんだから、あの報告書が出来上っても、どこへ出したら宜《え》えかチョット見当が附かんで困っておったところだが……まさかソコを探知して受取りに来たんじゃあるまいな……君は……。
 フウン。そうだろう。そこまでは知らなかった筈だ。
 ……フウン……しかし奇怪な投書が検事総長の処へ来ている……ヘエ。どんな投書だ……。
 何だ。持って来ているのか。ドレドレ見せ給え……。
 ……ヤッ……これは血書じゃないか。しかも立派な美濃紙が十枚以上在る。大変な努力だぞ。これは……投函局が佐賀県の呼子《よぶこ》か……おかしいな。あすこにも吾輩の乾児《こぶん》が居るには居るが……大正九年八月十五日……憂国の一青年より……堅田検事総長閣下……フーム。無論、吾輩が書いたんじゃないよ。書体を見ればわかる。……ウーム……と……。
「私ハ貴官ノ正シイ御心ヲ信ジテコノ手紙ヲ書キマス。
 水産翁、轟雷雄先生ガ免職ニナリマシタ裡面ニハ、国家ノタメニナラヌ重大秘密ガアリマス。大正八年十月十四日ノ午後一時カラ二時ノ間ニ、××デ警察署長ガ三人ト、判事ヤ検事ガ四人ト、松島|見番《けんばん》ノ芸妓《げいしゃ》二名ガ殺サレタ事件ノ原因ヲ調ベテ下サイ。貴官ノホカニ、コノ真相ヲ調ベ切ル人ハアリマセン。
 貴官ガコノ事件ヲ、本気デ調査サレタ事ガワカリマシタラ私ガ貴官ノ御宅ニ出頭シテ、真相ヲオ話シシマス。何トナレバ右ノ九人ノ人間ガ死ンダ事件ノ裏面ニ潜ム恐ロシイ爆弾売買ノ真相ヲオ話シ出来ルモノハ、私一人シカ居リマセンカラ。
 モシ貴官ガ今年一パイ、コノ問題ヲ調ベズニ打チ棄テテオカレタナラバ、貴官モ爆弾売リノ仲間ト認メマス。ソウシテ私ハ別ノ手段デ、モットモット皆サンニ、思イ知ラセマス。ドウゾドウゾ国家ノタメニ御調ベヲ願イマス」
 ウーム。検事総長を威嚇した訳だな。
 ……成る程……この投書は二十歳内外の不規則な学問をした青年が、字引引き引き一生懸命に書いたものらしいという見込だね。ウム。「芸妓」とか「爆弾」とかいう難しい文字が特に、活字の通りに正しく書いてあるので推定した……成る程なあ。感心なもんだな。ウーム……それからタッタ一語だけ使ってある「調べ切る」という言葉が「調べ得る」という意味で使った九州北部の方言であるところから察すると、この青年は国家問題に昂奮し易い福岡県下の出身かも知れぬと云うんだね。……賛成だ。吾輩|双手《もろて》を挙げて賛成するね。お互いに福岡生れだから、こうした青年の気持ちがよくわかるんだよ。とにかく生命《いのち》がけのスゴイ奴に違いない。そこでこの投書を信用して、君が出張して来たという訳か、吾輩の心当りを探るべく……。
 何……まだ話がある……。ハハア……書いた奴の詮索は後廻しか。事実の有無が何より先に問題だと云うんだね。如何にも如何にも……そこで朝鮮総督府へ公文書で問合わせた。成る程……そういった司法官や芸妓が同月、同日の殆んど同時刻に死傷する程の事件ならば、総督府でも知らない筈はないからな。面白い面白い……そうしたらドンナ回答が来た……。ナニ……。
「管轄違いだ。返答の限りに非《あら》ず」
 と突放して来た。怪《け》しからんじゃないか。……回答した奴は何者だ。フウン。わからんというのか。ただ総督府の太鼓判がベッタリと捺《お》してあるだけだ。……いよいよ以《もっ》て怪しからんじゃないか。
 ハハア。その手が例の「朝鮮モンロー主義」だというのか。ハッハッ。「朝鮮モンロー主義」はよかったね。……フーン……朝鮮の奴等はそんなに威張るのかなあ。燈台|下《もと》暗しで知らなかった。……フーン……内地の官庁から朝鮮に這入って来たものは、いつもこの式で、書類でも人間でもピンピン撥ね付ける。事務上の連絡が全く取れないが、総督府が独立した官制になっているのだからドウにも手のつけようがない……ヘエー……そうかなあ。……吾輩なんかは絶対にソンナ方針じゃなかったよ。内地から来たものは特に優遇する方針だったから、チットモ気が付かなかったがね……だから首になったんだ……成る程。そうかも知れん。ハッハッハッ……。
 それあ君等としちゃ癪《しゃく》に触《さわ》ったろう。特に司法関係の仕事は内鮮《ないせん》に跨《またが》った問題が多いんだからね。一々その手で撥ねられちゃあ遣り切れないだろうよ。成る程。……債券や紙幣の偽造が、朝鮮に逃げ込むと捕まらなくなるのはそのためだ。遺恨骨髄に徹している……成る程。それあそうだろう。
 そこでこっちもグ――ッと来たから、
「内地に於ける銃砲火薬類取締上、調査の必要あり。至急回答ありたし」
 と当てズッポーで威《おど》かしてやったら、今度は方向を違えた釜山警察署から報告が来た。……ハハア……総督府の奴、物騒と見て取って責任を回避しおったな。卑怯な奴だ。……その報告書がコレか……成る程。総督府宛の内容のものを、そのままコッピーにして送って来た訳だな。ウンウン。朱線を引いた処が要点か。
「……如何なる方面より風聞せられしものなるや判明せざれど、右類似の事件は当署管内に於て確かに発生せし事|有之《これあり》……」
 ……いかにも、コイツは多少名文らしいね。チョイト絡んで来たところが気に入ったよ。
「去る大正八年十月十四日、午後一時頃、釜山公会堂に於て、轟総督府技師の「爆弾漁業」に関する講演中、同技師が見本として提出したる二個の漁業用爆弾が過って炸裂し、傍聴者たりし判検事、署長等(氏名を略す)七名の死者を出したる事件あり。(芸妓《げいしゃ》二名の死傷は訛伝《かでん》也)……」
 プッ……馬鹿な。朝鮮官吏の低能と来たら底が知れない。コンナ事でお茶が濁せたらお慰みだ。警察の発表なら誰でも信用すると思っているんだから恐ろしい。そこで……と……。
「……右は前記轟技師の不
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