注意より起りしものなりしと同時に、当局の威信に関する事故なりしを以て、秘密裡に善後の処置を為《な》し、轟技師の休職を以て万事の落着を見たり。……右御回答申上候」
アッハッハッハッハッ。イヤ巧《たく》んだり拵《こし》らえたり。インチキ、ペテン、ヨタも亦《また》、甚しい。朝鮮官吏の腐敗堕落が、ここまで甚しかろうとは……ナニ。そんな事情もアラカタ察していた。なるほど……総督府が、釜山署と慣れ合いで事実を隠蔽すると同時に、責任を回避しているものと睨《にら》んだ……従ってこの事件は、総督府にもコタエル程度の重大事件だったに相違ない……その通りその通り。命中率、正《まさ》に百二十パアセントだよ。朝鮮モンロー主義をギューといわせる事この一挙に在りか。ハハハハ。愉快愉快。そう来なくちゃ面白くない。
そこで直ぐに君の部下を釜山に密行さした。ウムウム。その部下が釜山に着くと、何よりも先に松島遊廓に上って散財した。ハハハハ。ナカナカ洒落《しゃれ》とるじゃないか……成る程。それからその翌《あく》る日、帰りしなに、コッソリ公会堂に立寄って、内部の様子を一眼見ると、その朝の連絡船で東京に引返して、釜山署の報告はインチキに相違なしという復命をした……ヘエッ……こいつは驚いた。どうしてわかったんだ。タッタそれだけの仕事で……。
ハハア。その男の調査によると松島|見番《けんばん》で二人の芸妓《げいしゃ》が変死したのは事実だった……正にその通りだ。それを警察が強制して失綜届を出させている。葬式も法事も許さない。芸妓屋《おきや》と親元は泣きの涙で怨んでいるが、泣く児《こ》と地頭《じとう》に勝たれない。ソレッキリの千秋楽になっている……ソイツも正にその通りだ。……のみならず問題の公会堂を覗いてみると建った時のまんま修理した形跡が無い。十人近くの人間が爆死する位なら建物の損害が出ない筈はなかろう……というのか。
……ウム。エライッ……。
豪《えら》いもんだなあ。そんなにも頭が違うものかなあ内地の役人は……そこで検事総長と打合わせた結果、極《ごく》秘密裡に君が遣って来て、直接、吾輩の口から真相を聴く段取りになった……ウムッ。有難いっ。痛快だっ。イヤ多謝《コウマブソ》……多謝《コウマブソ》……とりあえず一杯|献《い》こう。
君の着眼は正に金的《きんてき》だったよ。
朝鮮モンロー主義……売国巨頭株の一掃……手に唾して俟つべしだ。とりあえず前祝《まえいわい》に大白《たいはく》を挙げるんだ。
ナニ……その売国巨頭株の姓名を具体的に云ってくれ……よし云おう。ビックリするな。
貴族院議員、正四位、勲三等、子爵、赤沢事嗣《あかざわことつぐ》……これが金毛九尾の古狐で、今度の事件の一番奥から糸を操っている黒頭巾《くろずきん》だ。君等がよく取逃がす呑舟《どんしゅう》の魚《うお》という奴だ。……ハッハッ知らなかったろう。彼奴《きゃつ》の若い時は例の郡司大尉の隠れたる後援者で、東洋切っての漁業通だという事を、誰にも感付かせないように、極力警戒しているんだからね。北洋工船、黒潮漁業の両会社は彼奴《あいつ》の臍繰《へそく》り金《がね》で動いていると云っていい位だ。……その次が現在大阪で底曳大尽《そこひきだいじん》と謳《うた》われている荒巻珍蔵《あらまきちんぞう》……発動機船底曳網の総元締だ。知っているだろう。それから京城の鶏林《けいりん》朝報社長、林逞策《りんていさく》。あれで巨万の富豪なんだよ。代議士|恋塚《こいづか》佐六郎……三保の松原に宏大な別荘を構えている……アレだ。お次は大連《たいれん》の貿易商で満鉄の大株主|股旅由高《またたびよしたか》。それから最後の大物が、現民友会の幹事長、兼、弗箱《どるばこ》と呼ばれている釜松秀五郎《かままつひでごろう》、逓信次官、雲田融《くもたとおる》……と……まあザットこれ位にしておこう。どうだい。驚いたか。
こいつ等の仕事の正体かね。無論、話すとも。話さなくてどうするもんか。君は吾輩唯一の竹馬の友だ。廃物同様の吾輩の話が、君等の仕事の参考になるのは、吾輩の無上の光栄とし、且つ欣快とするところだ。況《いわ》んや君の手によって、極度の乱脈に陥っている現下の銃砲火薬取締が廓清されると同時に、今云った連中にこの遺恨を報ずる事が出来たとすれば、吾輩の本懐、何をかこれに加えんだ。吾輩の一身なんかドウなったって構わない。
ウンウン。実にお誂向《あつらいむ》きのところに来てくれたよ。註文したって無い大暴風雨《おおしけ》に取巻かれた一軒屋だ。聴いている者は飯爨《めした》きの林《りん》だけだ。ウン。あの若い朝鮮人だよ。彼奴《あいつ》なら聴いても差支えないどころか、吾輩の話のタッタ一人の証人なんだ。吾輩が死んでも、彼奴《あいつ》の報告を聞けば一目瞭然なんだ。年は若いが、生《なま》やさしい奴じゃないんだよ彼奴《あいつ》は……追々《おいおい》わかるがね……ウン。
ところでドウダイ。モウ一パイ……ウン話すから飲め。脊髄癆《カリエス》なんてヨタを飛ばした罰《ばち》だ。落ち付いてくれなくちゃ話が出来ん。
「酒を酌んで君に与う君自ら寛《ゆる》うせよ
人情の翻覆《はんぷく》波瀾に似たり」
だろう……お得意の詩吟はどうしたい。ハハハハ。お互いに水産講習所時代は面白かったナア……。
ウン面白かった。
しかし君は途中で法律畑へ転じたもんだから、吾輩がタッタ一人、頑張って水産界へ深入りした。……少々脱線するようだがここから話さないと筋道が通らないからね……しかも内地の近海漁業は二千五百年来発達し過ぎる位発達して、極度の人口過剰に陥っている。残っている仕事はお互い同志の漁場の争奪以外に無いというのが、維新後の水産界の状態だった。
然《しか》るにこれに反して朝鮮はどうだ。南鮮沿海の到る処が処女漁場で取巻かれているじゃないか。況んや露領|沿海州《えんかいしゅう》に於てをやだ。……これに進出しないでドウなるものか。日本内地三千万の人口過剰を如何《いかん》せん……というのが吾輩の在学当時からの持論だったが……ウン。君も散々《さんざん》聞かされた……そこで卒業と同時に、火の玉のようになって日本を飛び出して朝鮮に渡ったのが、ちょうど水産調査所官制が公布された明治二十六年の春だったが、その時の吾輩の資本というのが、牛乳配達をして貯蓄した十二円なにがしと、千金丹《せんきんたん》二百枚の油紙包みと来ているんだから、正に押川春浪《おしかわしゅんろう》の冒険小説だろう。
……ウン……そこでモウ一つ脱線するが、その頃の朝鮮人が千金丹を珍重する事といったら非常なものだった。君は千金丹を記憶しているだろう。甘草《かんぞう》に、肉桂粉《にっけいふん》に薄荷《はっか》といったようなものを二寸四方位の板に練り固めて、縦横十文字に切り型を入れて金粉や銀粉がタタキ付けてある。無害無効の清涼剤だが、その一枚を三十か四十かに割った三角の一片を出せば、かなりの富豪が三拝九拝して一晩泊めてくれる。一枚の三分の一でも呉れようもんなら、その頃の郡守といって、県知事以上の権威を持った大名役人が、逆立ちをしながら沿岸を案内してくれるというのだから、まるでお伽話《とぎばなし》だろう。おまけに吾輩は内地の騎兵軍曹の古服を着て、山高帽に長靴、赤|毛布《ゲット》に仕込杖《しこみづえ》……笑っちゃいけない。ちょうどその頃、先輩の玄洋社連が、大院君を遣付《やっつ》けるべく、烏帽子《えぼし》直垂《ひたたれ》で驢馬《ろば》に乗って、京城に乗込んでいるんだぜ。……その吾輩が長髯《ちょうぜん》を扱《しご》きながら名刺を突き出すと、ハガキ位の金縁を取った厚紙に……日本帝国政府視察官、医典博士、勲三等、轟雷雄《チョツデヨンウウン》……と一号活字で印刷してある。意訳すると豪胆、勇壮、この上なしの偉人という名前なんだから、大抵の奴が眼を眩《ま》わしたね。最小限|華族《ヤンパン》ぐらいには、到る処で買冠《かいかぶ》られたもんだ。
この勢いで北は図満江《とまんこう》の鮭から、南は対州《つしま》の鰤《ぶり》に到るまで、透きとおるように調べ上げる事十年間……今度は内地に帰って、水産講習所長の紹介状を一本、大上段に振り冠《かぶ》りながら、沿海の各県庁、水産試験場、著名の漁場漁港を巡廻し、三寸|不爛《ふらん》の舌頭《ぜっとう》を以て朝鮮出漁を絶叫する事、又、十二年間……折しもあれ日韓合併の事成るや、大河の決するが如き勢をもって朝鮮に移住する漁民《りょうみん》だけが、前後を通じて五十万という盛況を見つつ今日《こんにち》に及んだ。歴代の統監、総督の中でも山内正俊大将閣下は、特に吾輩の功績を認めて、一躍、総督府の技師に抜擢《ばってき》し、大佐相当官の礼遇を賜う事になった。苟《いやし》くも事、朝鮮の産業に関する限り、米原《まいばら》物産伯爵、浦上水産翁と雖《いえど》も、一応は必ず、吾輩、轟技師に伺いを立てなければ、物を云う事が出来ないという……吾輩の得意想うべしだったね。
ところでここまではよかった。ここまではトントン拍子に事が運んだが、これから先が大変な事になった。引くに引かれぬ鞘当《さやあ》てから、日本全国を潜行する無量無辺の不正ダイナマイトを正面に廻わして、アアリャジャンジャンと斬結《きりむす》ぶ事になった。しかもソイツが結局、吾輩タッタ一人の死物狂い的白熱戦になって来たんだから遣り切れない。
或は吾輩一流の野性が祟《たた》ったのかも知れないがね。
そのソモソモの狃《な》れ初《そ》めというのは、実につまらないキッカケからだった。
今も云う通り吾輩は、総督府のお役人になってしまった。一介の漁師としては正に位、人臣を極めるところまで舞い上って来た訳だが、サテ、そうなってみるとドウモ調子が面白くない。朝鮮|緘《おど》しの金モール燦然《さんぜん》たる飴売《あめう》り服や、四角八面のフロックコートを一着に及んで、左様《さよう》然らばの勲何等|風《かぜ》を吹かせるのが、どう考えても吾輩の性に合わなかったんだね。正直正銘のところ山内閣下から轟……轟といって可愛がらるよりも、五十万の荒くれ漁夫《りょうし》どもから「おやじおやじ」と呼び付けられる方が、ドレ位嬉しいかわからない。この心境は知る人ぞ知るだ。トウトウ思い切ってこうした心事を、山内さんの前で露骨に白状したら、山内さんあのビリケン頭に汗を掻いて大笑《おおわらい》したよ。……あんなに笑ったのを見た事が無いと、同席の藁塚《わらづか》産業課長が云っておったがね。
その結果、現官のままの吾輩を中心にして東洋水産組合というものが認可されて本拠を釜山《ふざん》の魚市場に近い岩角《がんかく》の上に置いた。費用は五十万の漁民《りょうみん》から一戸当り毎年二十銭ずつ、各道の官庁から切ってもらって、半官半民的に漁民の指導保護、福利増進に資すると同時に北は露領沿海州から、西は大連《たいれん》沖、支那海まで進出して宜しいという鼻息を、総督から内々《ないない》で吹き込まれた……というと実に素晴らしい、堂々たる事業に相違ない。吾輩の生命《いのち》の棄て処が出来たというので、躍り上って喜んだものだが、サテ実際に仕事を初めてみると、何より先に驚ろかされたのは組合費が集まらない事だった。
アタジケナイ話だが、一年の一戸当りがタッタ二十銭とはいうものの、税金と違って罰則が無い。おまけに遣りっ放しの海上生活者が相手なんだから徴収困難は最初《てん》から覚悟していたが、半分以下に見て七千円の予算が、その又半分も覚束《おぼつか》ない。吾輩の本俸手当を全部タタキ込んでも建物の家賃と、タッタ一人の事務員の月給と、小使の給料に足りないのだから屁古垂《へこた》れたよ……実際……。
ところが一方に吾輩が総督府を飛出して、水産組合を作ったという評判は、忽《たちま》ちの中に全鮮へ伝わったらしいんだね。到る処から「おやじおやじ」の引張り凧《だこ》だ。……行ってみると漁場《りょうば》の争奪、漁師の喧嘩、発動機船|底曳《そこひき》網の横暴取締り、魚
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