市場の揉め事、税金の陳情なぞ、あらん限りのイザコザを持ち掛けて来る上に、序《ついで》だからというので子供の名附親から、嫁取り、婿取りの相談、養子の橋渡し、船の命名進水式、金比羅《こんぴら》様、恵比須《えびす》様の御勧請《ごかんじょう》に到るまで、押すな押すなで殺到して来る。その忙《せわ》しい事といったらお話にならない。
しかし吾輩は嬉しかった。何をいうにも内地から遥々《はるばる》の海上を吾輩が自身に水先案内《パイロテージ》して、それぞれの漁場に居付かせてやった、吾児《わがこ》同然の荒くれ漁師どもだ。その可愛さといったら何ともいえない。経費なんかはどうでもなれという気になって、東奔西走しているうちに妙なものだね。到る処の漁村の背後に青々《せいせい》、渺茫《びょうぼう》たる水田が拡がって行った。同時に漁獲がメキメキと増加して、総督府の統計に上る鯖《さば》だけでも、年額七百万円を超過するという勢いだ。その又一方に組合費の納入成績はグングン下落して、何とも云いもしないのに、タッタ一人の事務員が尻に帆をかけるという奇現象を呈する事になったが、それでも吾輩喜んだね。鮮海漁業の充実期して待つべし……更に金鞭《きんべん》を挙げて沿海州に向うべし……というので大白を挙げて万歳を三唱しているところへ、思いもかけないドエライ騒動が持ち上って来た。ウッカリすると折角《せっかく》、根を張りかけた鮮海の漁業をドン底までタタキ付けられるかも知れない大暴風《おおあらし》が北九州の一角から吹き初めたもんだ。
……というのはほかでもない。海上の大秘密……爆弾漁業の横行だった。
ところで又一つ脱線するが、ここいらで所謂《いわゆる》、漁業界の魔王、爆弾漁業の正体と、その横行の真原因を明らかにしておかないと困るのだ。世間に知られていない……永いこと官憲の手によって暗《やみ》から暗《やみ》に葬られて来た事実だが、実は今夜の話の興味の全部を裏書する重大問題だからね。
何だ……大いに遣ってくれ。非常に参考になる……ウン遣るよ。徹底的にやるよ。君なんか無論初耳だろうが、実に戦慄すべき国家問題だからね。
由来海上の仕事には神秘とか、秘密とかいう奴が、滅法矢鱈《めっぽうやたら》に多いものだが、その中でもこの爆弾漁業という奴は、超特級のスゴモノなんだ。
何故かというと一般社会ではこの爆弾漁業横行の原因を、利益が大きいから……とか何とかいう単純な、唯物的な理由でもってアッサリ片づけているようだが、永年、漁夫《りょうし》の中を転がりまわって、半風子《しらみ》を分け合った吾輩の眼から見ると、その奥にモウ一つ深い心理的な理由があるのだ。すなわち一言にして蔽《おお》うと、この爆弾漁業なるものこそ、吾が日本の国民性に最も適合した漁業法……怪《け》しからんと云ったって事実なんだから仕方がない。イザ戦争となると直ぐに肉弾をブッ付ける。海では水雷艇の突撃戦に血を湧かしたがる。油断すると爆薬を積んだ飛行機を敵艦にブッ付けようかという、万事、極端まで行かなければ虫が納まらないのを、大和魂《やまとだましい》の精髄と心得ている日本人だ。……最初は九州の炭坑地方の河川で、慰み半分に工業用ダイナマイトを使って極く内々で遣っていた奴が、こいつは面白いというので玄海|洋《なだ》に乗り出すと、見る見る非常な勢いで氾濫し始めた。
君等は気が付かなかったかも知れんが、明治四十年前後まで、関西の市場に大勢力を占めていた対州鰤《たいしゅうぶり》という奴が在った。魚市場《せりば》へ行ってみると、黒い背甲《せこう》を擦剥《すりむ》いて赤身を露《だ》した奴がズラリと並んで飛ぶように売れて行ったものだが、これは春先から対州《たいしゅう》の沿岸を洗い初める暖流に乗って来た鰤の大群が、沿岸一面に盛り上る程、押合いヘシ合いしたために出来たコスリ傷だ。いわば対州鰤の一つの特徴になっていたくらい盛んなものだった。
ところが、それほど盛大を極めていた鰤の周遊が、爆弾漁業の進出以来、五六年の中《うち》に絶滅してしまった。勿論、対州の官憲が、在住漁民と協力して極力取締を励行したものだが、何をいうにも相手が爆弾を持っている連中だから厄介だ。間誤間誤《まごまご》すると鰤の代りに、こっちの胴体が飛ばされてしまう。殉職した警官や、藻屑《もくず》になった漁民《りょうみん》が何人あるかわからない……といった状態で、アレヨアレヨといううちに、対州鰤をアトカタもなくタタキ付けた連中が、今度は鋒先を転じて南鮮沿海の鯖を逐《お》いまわし始めた。
彼奴《きゃつ》等が乗っている船は、どれもこれも申合わせたように一丈かそこらの木《こ》ッ葉船《ぱぶね》だ。一挺の櫓と一枚か二枚の継《つ》ぎ矧《は》ぎ帆《ほ》で、自由自在に三十六|灘《なだ》を突破しながら、「絶海遥かにめぐる赤間関」と来る。そこで眼ざす鯖の群れが青海原に見えて来ると、一人は艫《とも》にまわって潮銹《しおさび》の付いた一挺櫓を押す。一人は手製の爆弾と巻線香を持って舳先《へさき》に立ち上るのだ。このバッテリーの呼吸がうまく合わないと、生命《いのち》がけのファインプレイが出来ないのだ。
手製の爆弾というのは何でもない。炭坑夫が使うダイナマイト……俗にハッパという奴だ。ビンツケみたいにネバネバした奴を二三本握り固めて、麻糸でギリギリギリと巻き立てて手鞠《てまり》ぐらいの大きさになったら、それで出来上りだ。ここまでは誰でも出来るが、そいつを左手に持ちながら立ち上って、波の下に渦巻く魚群を見い見い導火線《くちび》を切る。この導火線《くちび》の寸法なるものが又、彼奴《きゃつ》等の永年の熟練から来ているので、所謂、教化別伝の秘術という奴だろう。魚群の巨大《おおき》さや深さによって咄嗟《とっさ》の間に見計《みはか》らいを付けるのだからナカナカ難かしい。……その導火線《くちび》を差込んだ爆薬を右手に持ち換えて……左利きの奴も時々居るそうだが……片手に火を付けた巻線香を持ちながら、両方の切り口を唇に近付ける。背後《うしろ》を振り返って、
「ソロソロ漕げ……ソロソロ……ソロソロ……」
と呼吸を計《はか》っているうちに、鯖の群れ工合を見て導火線《くちび》の切口と、線香の火をクッ付けて……フッ……と吹く。……シュッシュッと……来た奴をモウ一度、見計らって一気に投げる。はるかの水面に落ちて泡を引きながらグングン沈む。水面下に大渦を巻いている鯖の大群の中心に来たと思う頃、ビシイインという震動が船に来て、波の間から電光形の潮飛沫《しおしぶき》が迸《ほとばし》る。……ソレッ……というので漕ぎ付けるとサア浮くわ浮くわ。何しろ何十万ともわからない魚群の中心で破裂するんだからタマラない。五六間四方ぐらいは背骨が切れる。臓腑が吹き出す。十四五間四方ぐらいは急激|脳震盪《のうしんとう》を起して引っくり返る。その外側の二十間四方ぐらいの奴は眼をまわして、あとからあとから海面が真白になる程浮き上る。その中を漕ぎまわる。掬《すく》う。漕ぐ。掬う。瞬くうちに船一パイになったら、残余《あと》はソレキリ打っちゃらかしだ。勿体《もったい》ないが惜しい事はない。タカダカ三円か五円ソコラの一発だからね。マゴマゴして巡邏船《じゅんらせん》にでも見付かったら面倒だ。
それあ危険な事といったら日本一だろう。その導火線を切り損ねて、手足や頭を飛ばした奴が又、何百何千居るか知れないんだが、そんなのは公々然と治療も出来なければ葬式も出せない。十中八九は水葬礼だが、これとても惜しい生命《いのち》じゃないらしい。
論より証拠……春鯖から秋鯖の時季にかけて、南朝鮮の津々浦々をまわって見たまえ。到る処に白首《しらくび》の店が、押すな押すなで軒を並べて、弦歌《げんか》の声、湧くが如しだ。男も女も、老爺《じじい》も若造《わかぞう》も、手拍子を揃えて歌っているんだ。
「百円|紙幣《さつ》がア 浮いて来たア
百円|紙幣《さつ》がア 浮いて来たア
ドオンと一発 掴み取りイ
浮いたア浮いたア エッサッサア
浮いたア浮いたア エッサッサア
お前が抱かれて くれるならア
片手や片足 何のそのオー
首でも胴でも スットコトン
明日《あす》の生命《いのち》が スットコトン
スットコスットコスットコトン
浮いたア浮いたア エッサッサア
百円|紙幣《さつ》がア 浮いて来たア……」
と来るんだ。どうだい……コイツが止《や》められるかどうか考えてみたまえ。
こうして財布の底までハタイてしまうと、明日《あす》は又「一葉の扁舟《へんしゅう》、万里の風」だ。「海上の明月、潮《うしお》と共に生ず」だ。彼等の鴨緑江節《おうりょっこうぶし》を聞き給え……。
「朝鮮とオ――
内地ざかいのアノ日本海イ――
揚げたア――片帆がア――アノよけれエ――ど――もオ――。ヨイショ……
月は涯《は》てし――も――ヨッコラ波枕ヨオ――いつか又ア――女郎衆のオ――膝枕ア――」
と来るんだから遣り切れないだろう。海国男児の真骨頂だね。
そのうちに又、ドオンと来る。五千、一万の鯖が船一パイに盛り上る。コイツを発動機船の沖買いが一|尾《ぴき》二三銭か四五銭ぐらいの現金《ナマ》で引取って、持って来る処が下関の彦島《ひこしま》か六連島《むつれ》あたりだ。そこで一|尾《ぴき》七八銭当りで上陸して、汽車に乗って大阪へ着くとドンナに安くても十四五銭以下では泳がない。君等は二十銭以下の大鯖を喰った事があるかい。無いだろう。どの位儲かるかは、この一事を以て推して知るべしだよ。
ところでサア……こうなると所謂《いわゆる》、資本家連中が棄てておかない。今でも××の海岸にズラリと軒を並べている※[#「┐」を全角大とした、屋号を示す記号、240−14]友《かねとも》とか|○金《まるきん》とかいう網元へ船を漕ぎ付けた漁師が、仕事をさしてくれと頼むかね……そうすると店の番頭か手代みたような奴が、物蔭へ引っぱり込んで、片手で投げるような真似をしながら「遣るか」と訊く。そこで手を振って「飛んでもない……そんな事は……」とか何とか云おうものなら、文句なしに追払いだ。誰一人雇い手が無いというのだから凄いだろう。
そればかりじゃない。そうした各地の網元の背景には皆それぞれの金権、政権が動いているのだ。その頭株が最初に云ったような連中だが、その配下に到っては数限りもない。みんなこの爆薬の密売買だの爆弾漁業だので産を成した輩《てあい》ばかりだ。しかも彼等が爆弾漁業者……略して「ドン」と云うが、そのドン連中に渡すダイナマイトというのが、一本残らず小石川の砲兵工廠から出たものだ。梅や、桜や、松、鶴、亀の刻印を打ったパリパリなんだから舌を捲くだろう。
どこから手に入れるかって君、聞くだけ野暮《やぼ》だよ。強《あなが》ちに北九州ばかりとは云わない。全国各地の炭山、金山、鉱山の中に、本気で試掘を出願しているのがドレ位あると思う。些《すくな》くとも半分以上はこの「ドン」欲しさの試掘願いだと云っても過言じゃない。しかもその願書の裏を手繰《たぐ》って行くと又一つ残らず、最初に云った巨頭連中の中の、どれかに引っかかって行く事は、吾輩が首を賭けて保証していいのだ。……同時に彼等巨頭連が、こうした非合法手段で巨万の富を作りつつ、一方に極力、不正漁業を奨励して天与の産業を破壊している事その事が、如何に赤い主義者や、不逞鮮人の兇悪運動を庇護、助長しているか。日本民族の将来の発展に対して、如何に甚しい障害を与えているか……という事実は、吾輩が改めて説明する迄もないだろう。
ところが今云った巨頭連中は、そんな事なんかテンデ問題にしていないのだ。……勅令……内務省令、糞《くそ》を啖《く》らえだ。いよいよ団結を固くして、益々大資本を集中しつつ、全国的に鋭敏な爆薬取引網を作って行く。それが現在、ドレ位の大きさと深さを持っているかはあの報告書を引っぱり出す迄もない。吾輩の話だけでもアラカタ見当が付くだろう。
そこで、こんな
前へ
次へ
全12ページ中3ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
夢野 久作 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング