風に爆弾漁業が大仕掛になって横行し始めると、何よりも先にタマラないのは、云う迄もなく南鮮沿海五十万の普通漁民だ。
しかも絶滅して行くのは鯖ばかりじゃない。全然爆薬の音を聞かされた事のない、ほかの魚群までもが、テンキリ一匹も岸に寄付かなくなるんだから事、重大だろう。
……ウン……それあ実際、不思議な現象なんだ。専門の漁師に聞いたって、この重大現象の理由はわからない。魚同志が沖で知らせ合うんだろう……ぐらいの説明で片附けている……いわば海洋の神秘作用と云ってもいい怪現象なんだが、コイツを科学的に研究してみると何でもない。頗《すこぶ》る簡単な理由なんだ。
そもそも鯖とか、鰯《いわし》とかいう廻游魚類が、沿岸に寄って来る理由はタッタ一つ……その沿岸の水中一面に発生するプランクトンといって、寒冷紗《かんれいしゃ》の目にヤット引っかかる程度の原生虫、幼虫、緑草、珪草、虫藻《むしも》なぞいう微生物を喰いに来るのが目的なんだ。
だからその寄って来る魚群を温柔《おとな》しく網で引いて取ればプランクトンはいつまでもいつまでも居残ってあとからあとから魚群を迎える事になる。発動機船の底曳網でも、かなり徹底的に、沿海の魚獲を引泄《ひきさら》って行くには行くが、それでもプランクトンだけは確実に残して行くのだ。
ところが爆漁《ドン》と来ると正反対だ。あっちでもズドン、こっちでもビシンと爆発して、生き残った魚群の神経に猛烈な印象をタタキ込むばかりでない。そこいらの水とおんなじ位に微弱なプランクトンの一粒一粒を、そのショックの伝わる限りステキに遠い処までも一ペンに死滅させて行くんだからタマラない。……対州が何よりのお手本だ。……餌の無い海に用はないというので、魚群は年々、陸地から遠ざかって行くばかり……朝鮮海峡をサッサと素通りするようになる。年額七百万円の鯖が五百万、二百万と見る見るうちにタタキ下げられて行く。税金が納められないどころの騒ぎじゃない。小網元の倒産が踵《くびす》を接して陸続《りくぞく》する。吾輩が植え付けた五十万の漁民が、眼の前でバタバタと飢死して行くのだ。
ここに於て吾輩は猛然として立上った。実際、臓腑《はらわた》のドン底から慄《ふる》え上ってしまったのだ。……爆弾漁業、殲滅《せんめつ》すべし。鮮海五十万の漁民を救わざるべからず……というので、第一着に総督府の諒解を得て、各道の司法当局に檄《げき》を飛ばした。続いて東京の各省の諒解の下に、北九州、山陰、山陽の各県水産試験場、南鮮の各重要諸港で、十二|節《ノット》以上の発動機船を準備してもらった奴に、武装警官を乗組ませて、ドン船と見たら容赦なく銃口を向けさせる。これは対州の警察が嘗めさせられた苦い経験から割出した最後手段だ。一方にその頃まだ鎮海《ちんかい》湾に居た水雷艇隊を動かしてもらって、南鮮沿海を櫛の歯で梳《す》くように一掃してもらう事になった。……というのは吾輩が、司令官の武重《たけしげ》中将を膝詰談判で動かした結果だったがね。
とにかくコンナ調子で、爆弾漁業を本気で掃蕩し始めたのはこの時が最初だったものだから、その騒動といったらなかったよ。南鮮沿海に煮えくり返るような評判だった。
ところがここに、お恥かしい事には、吾輩、元来、漁師向きに生れ附いただけあって、頭が単純に出来ているんだね。そんな風に吾輩の弁力のあらん限りを動員して、爆弾漁業と青眼に切り結んだところは立派だったが、その当の相手の爆弾漁業者《ドン》の背景に、どんな大きな力が隠れているか……彼等が何故に砲兵工廠の「花スタンプ」附きの爆薬《ハッパ》を使っているか……なぞいう事を、その頃まで夢にも念頭に置いていなかったんだから何にもならない……。要するに単純な、無鉄砲な漁師どものアバズレ仕事とばかり思い込んでいたものだから、一気に片付けるつもりで追いまわしてみると、どうしてどうして。水雷艇や巡邏船が百艘や二百艘かかったってビクともしない相手である事が、一二年経つうちに、だんだんと判明《わか》って来たもんだ。
第一に驚かされたのは彼奴《きゃつ》等の船の数だった。石川や浜の真砂《まさご》どころではない。慶南、慶北沿海の警察の留置場が、満員するほど引っ捕えても、どこをドウしたかわからないくらい夥しい船が、抜けつ潜りつ荒しまわる。朝鮮名物の蠅と同様、南鮮沿海に鉄条網でも張り廻わさなければ防ぎ切れそうに見えないのだ。
それから第二に手を焼いたのは、その密漁手段の巧妙なことだ。「ドーン」という音を聞き付けた見張りの水雷艇が、テッキリあの舟だというので乗付けて見ると、果せるかなビチビチした鯖を満載している。そこで「この鯖をドウして獲《と》ったか」と詰問すると澄ましたものだ。古ぼけた一本釣の道具を出して「ちょうど大群《むれ》に行き当りましたので……」という。「しかしタッタ今聞えたのは確かに爆薬《ダイナマイト》の音だ。ほかに船が居ないから貴様達に違いあるまい」と睨み付けると頭を掻《かい》てセセラ笑いながら「そんなら舟を陸に着けますから一つ調べておくんなさい」と来る。そこで云う通りにしてみると成る程、巻線香のカケラも見当らないから……ナアーンダイ……というので釈放する。
実に張合いのない話だが、しかし考えてみると無理もないだろう。水兵や警官は漁師じゃないんだからね。爆弾船《ドンぶね》の連中が持っている一本釣の道具が、本物かそれとも胡麻化《ごまか》し用の役に立たないものかといったような鑑別が一眼で出来よう筈がない。とりあえず糸《テグス》を引切《ひっき》ってみればタッタ今まで使ったものかどうかは吾々の眼に一目瞭然なんだが……爆弾船《ドンぶね》に無くてはならぬ巻線香だって、イザという時に海に投げ込めばアトカタもない。もっとも生命《いのち》から二番目のダイナマイトはなかなか手離さないが、その隠匿《かく》しどころが亦、実に、驚ろくべく巧妙なものなんだ。帆柱を立てる腕木を刳《く》り抜いたり、船の底から丈夫な糸で吊したり、沢庵漬《たくあんづけ》の肉を抉《えぐ》って詰め込んだり、飯櫃《めしびつ》の底を二重にしていたりする。そのほか、狭い舟の中でアラユル巧妙な細工をしている上に、万一あぶないとなれば鼻の先で手を洗う振りをしながらソッと水の中に落し込む。その大胆巧妙さといったら実に舌を捲くばかりで、天勝《てんかつ》の手品以上の手練を持っているんだからトテモ生《なま》やさしい事で捕まるものでない。何しろ彼奴《きゃつ》等は対州鰤《たいしゅうぶり》時代に手厳しい体験を潜って来ているのだからね。……そこで吾輩はモウ一度、引返して、各道の判検事や警察官に、爆弾船《ドンぶね》の検挙、裁判方法を講演してまわるという狼狽のし方だ。泥棒を見て縄を綯《な》うのじゃない。追っかけながら藁《わら》を打つんだから、およそ醜態といってもコレ位の醜態はなかったね。
ところがここで又一つ……一番最後に驚ろかされたのは、吾輩のそうした講演を聞きに来ている警察官や、判検事連中の態度だ。先生方がお役目半分に、渋々《しぶしぶ》聞きに来ている態度はまあいいとして、その大部分が本当に気乗りがしていないばかりじゃない。何となく吾輩の演説を冷笑的な気分で聞いている事が、最初から吾輩の頭にピインと来たもんだ。これは演壇に慣れた人間に特有の直感だがね……のみならず中には反抗的な態度や、嘲笑的な語気でもって質問を浴びせて来る奴が居る。しかもその質問というのが十人が十人|紋切型《もんきりがた》だ。
「一体、爆弾漁業というものは違法なものでしょうか。……巾着網《きんちゃくあみ》よりも底曳《そこひき》網の方が有利だ……底曳網よりも爆弾漁業の方が多量の収穫を挙げる……というだけの話で、要するに比較的収益が多いというだけのものじゃないですか。……だからこれを犯罪とせずに正当の漁業として認可したら却《かえ》って国益になりはしまいか。これを禁止するのは炭坑夫にダイナマイトを使うな……というのと、おなじ意味になるのじゃないですか」
と云うのだ。……どうも法律屋の議論というものは吾輩に苦手なんでね。吾々みたいな粗笨《あら》っぽい頭では、どこに虚構《おち》が在るか見当が附かないんだ。そこで止むを得ず受太刀《うけだち》にまわって、南鮮沿海の漁民五十万の死活に関する所以《ゆえん》を懇々と説明すると、
「それならばその普通漁民も、ほかの方法で鯖を獲《と》る方針にしたらいいでしょう。朝鮮沿海に魚が居なくなったら、露領へでも南洋にでも進出したらいいじゃないですか」
と漁業通を通り越したような無茶を云い出す。ドウセ無責任と無智をサラケ出した逃げ口上だがね。そこで吾輩が躍起《やっき》となって、
「それでも銃砲火薬類の取締上、由々《ゆゆ》しき問題ではないか」
と逆襲すると、
「それは内地の司法当局の仕事で吾々に責任はありません」
と逃げる。実に腸《はらわた》が煮えくり返るようだが、何を云うにもソウいう相手にお願いしなければ取締りが出来ないのだから止むを得ない。情なく情なく頭を下げて、
「とにかくソンナ事情《わけ》ですから、折角定着しかけた五十万の南鮮漁民を助けると思って、何分の御声援を……」
と頼み入ると、彼等は冷然たるもので、
「それはまあ、総督府の命令なら遣って見ましょうが、何しろ吾々は陸上の仕事だけでも手が足りないのですからね」
といったような棄科白《すてぜりふ》でサッサと引上げてしまう。怪しからんといったってコレ位、怪しからん話はない。無念……残念……と思いながら彼奴《きゃつ》等の退場する背後《うしろ》姿を、壇上から睨み付けた事が何度あったかわからないが、思えばこの時の吾輩こそ、大馬鹿の大馬鹿の三太郎だったのだね。
こんな事実が度重《たびかさ》なるうちに……吾輩ヤット気が付いたもんだ。君だってここまで聞いて来れば大抵、感付いているだろう。……ウンウン。その通りなんだ。明言したって構わない。爆弾密売買の元締連中の手が朝鮮の司法関係にまで行きまわっているんだ。何しろその当時の朝鮮の官吏と来たら、総督府の官制が発布されたばかりの殖民地気分のホヤホヤ時代だからね。月給の高価《たか》いのを目標に集まって来たような連中ばかりだから、内地の官吏よりもズット素質が落ちていたのは止むを得ないだろう。……それと気が付いた吾輩は、それこそ地団太《じだんだ》を踏んで口惜しがったものだ。地団太の踏み方がチットばかり遅かったが仕方がない。
そこでボンヤリながらもそうと気が付くと同時に吾輩は、ピッタリと講演を止めてしまって、爆弾漁業の本拠|探《さぐ》りに没頭したもんだ。先《ま》ず手頃の人間で吾輩のスパイになってくれる者は居ないか……と頻《しき》りに近まわりの人間を物色してみたが、それにしてもウッカリした奴にこの大事は明かせない。何しろ五十万人の死活問題を背負って立つだけの器量と、覚悟を持った奴でなければならない上に、ドンの背景となっている連中が又、ドレ位の大物なのか見当が付かないのだから、とりあえず佐倉宗五郎以上の鉄石心《てっせきしん》が必要だ。もちろん組合の費用は全部、費消《つか》っても構わない覚悟はきめていた訳だがそれでも多寡《たか》は知れている。それを承知で活躍する人間といったら、当然、吾輩以上の道楽|気《け》が無くちゃならんだろう……ハテ……そんな素晴らしい変り者が、この世界に居るか知らんと、眼を皿のようにして見廻わしているところへ、天なる哉《かな》、命なる哉。思いもかけない風来坊が吾輩の懐中《ふところ》へ転がり込んで来る段取りになった。
……ところでドウダイもう一パイ……相手をしてくれんと吾輩が飲めん。飲まんと舌が縺《もつ》れるというアル中患者だから止むを得んだろう……取調べの一手《ひとて》にソンナのが在りやせんか……アッハッハッ……。
ナニ。この三杯酢かい。こいつは大丈夫だよ。林《りん》青年の手料理だが、新鮮無類の「北枕」……一名ナメラという一番スゴイ鰒《ふぐ》の赤肝《あかぎも》だ。御覧の通り雁皮《がんぴ》み
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