順風耳《じゅんぷうじ》を以てしてもナカナカ見当が付けにくい。……これは後から判明した話だが、彼奴《きゃつ》等は一時南鮮の孤島、欲知《ほっち》島の燈台守を買収してここを爆弾の溜りにしていた事がある。しかも燈台の上から高度の望遠鏡で、水雷艇や巡邏船を監視して、色々な信号を発していた……というのだから、如何にその仕事が統制的で、大仕掛であったかが想像されるだろう。
 然るに、ソンナ程度にまでドン漁業が深刻化しつつ擡頭して来ている事を、夢にも知らなかった吾輩はアタマから呑んでかかったものだ。……懲《こ》り性《しょう》もない鼠賊《チョコマン》ども……俺が居るのを知らないか。来るなら来い。タッタ一ヒネリだぞ……というので、腕に縒《より》を掛けて釜山一帯の当局連中を鞭撻にかかったものだが、その手初めとして取りあえず慶尚南道《けいしょうなんどう》の有志、役人、司法当局四十余名を釜山公会堂に召集して、爆弾漁業|勦滅《そうめつ》の大講演会を開く事になった。これに各地方の有力者二十余名、臨時傍聴者三百余名を加えた有力この上もない聴衆を向うに廻わして吾輩が、連続二日間の爆弾演説をこころみる……というのだから、吾輩の意気、応《まさ》に衝天《しょうてん》の概《がい》があったね。

 大正八年……昨年の十月十四日……そうだ。山内さんが死なれる前の月の出来事だ。その第一|日《じつ》の午前十時から「爆弾漁業の弊害」という題下に、堂々三時間に亘った概論を終ると、満場、割るるが如き大喝采だ。そのアトから各地の有力者の中《うち》でも代表的な五六名が、吾輩の休憩室に押掛けて来て頗《すこぶ》る非常附きの持上げ方だ。
「……イヤ感佩《かんぱい》致しました。聴衆の感動は非常なものです。先生の御熱誠の力でしょう。三時間もの大演説がホンノちょっとの間《ま》にしか感じられませんでした。当局連中もスッカリ感激してしまって、今更のように切歯扼腕《せっしやくわん》しているような次第で……私共も一度はドンで年貢を納めさせられた前科者《ナッポンサラミン》ばかりですが、今日の御演説を承りまして初めて眼が醒めました。何でもカンでも轟先生が朝鮮に御座る間は悪い事は出来んなア……とタッタ今も話しながらこっちへ参りましたような事で……アハハハ……イヤ、恐れ入ります。……ところでここに一つ無理な御相談がありますが御承諾願えますまいか。……というのは、ほかでもありません。本日集まっている当局連中の中には、先生の御講演を一度以上拝聴している者が多いのです。……ですから取締方法なぞを詳しく承わっているにはいるのですが、しかし遺憾ながら爆弾漁業なるものの遣り方を実際に見た者が生憎《あいにく》、一人も居ないのです。そのために先生の御高説を拝聴しましても、何となく机上の空論といったような感じに陥り易い。……何とかしてその遣り方を実地に見せて頂きながら、御講演を承る事が出来たら……ちょうど先生が海の上で、水産学校の卒業生を捉《つか》まえて御指導になるような塩梅《あんばい》式にですね……お願い出来たら、それこそ本格にピッタリと来るだろう。将来どれ位、実地の参考になるか知れん……という註文を受けましたものですから、まことに道理《もっとも》千万と思いまして、実は御相談に伺った次第ですが……如何《いかが》でしょうか。ちょうど申分のない凪《な》ぎ続きですし、明日《あす》の上天気も万に一つ外れませんし……乗船は御承知の博多通いで甲板《デッキ》の広い慶北丸が、船渠《ドック》を出たばかりで遊んでおりますから、万一御許しが願えましたら、私共が引受けて万般の準備を整えたい考えでおります。……それから実演をする人間ですが、これは只今、釜山署に四人ばかり現行犯がブチ込んで在りますから、あの連中に遣れと云ったら、遣らんとは申しますまい……その方が聴き手の方でも身が入りはしますまいか」
 という辞令の妙をつくした懇談だ。
 ところで吾輩もこの相談にはチョッコン面喰《めんくら》ったね。コンナ計劃が違法か、違法でないかは、希望者が司法官連中と来ているんだから、先ず先ず別問題としても、そうした思い附きの奇抜さ加減には取敢《とりあ》えず度肝《どぎも》を抜かれたよ。殺人犯を捕える参考のために、人殺しの実演を遣らせるようなもんだからね。……しかし何をいうにもこの談判委員を承った連中というのが、人を丸める事にかけては専門の一流揃いと来ているんだ。如何にも研究熱の旺盛な余りに出たらしい脂切《あぶらぎ》った口調で、柔らかく、固く持《もち》かけて来たもんだから吾輩ウッカリ乗せられてしまった。……少々演説が利き過ぎたかな……ぐらいの自惚《うぬぼ》れ半分で、文句なしに頭を縦に振らせられてしまったが……しかし……というので吾輩の方からも一つの条件を持ち出したもんだ。
「……というのは、ほかの問題でもない。その爆弾漁業の実演者についてこっちにも一つ心当りがあるのだ。その人間はズット以前にドンを遣っていた経験のある人間だが、当局の諸君は勿論の事、一般の漁業関係の諸君が、その人間の過去を絶対に問わない約束をするなら、その生命《いのち》がけの仕事に推薦してみよう。現在ではスッカリ改心して、実直な仕事をしているばかりでなく、素敵もない爆弾漁業通だから将来共に、君等のお役に立つ人間じゃないかと思うが……」
 と切り出してみた。これはかねてから日蔭者《ひかげもの》でいた林友吉を、どうかして大手を振って歩けるようにして遣りたいと思っていた矢先だったから、絶好の機会《チャンス》と思って提案した訳だったがね。
 するとこの計略が図に当って、忽《たちま》ちのうちに警察、裁判所連の諒解を得た。……それは一体どんな人間だ……と好奇の眼を光らせる連中もいるという調子だったから、吾輩、手を揉み合わせて喜んだね。早速横ッ飛びに本町の事務室に帰って来て、小使部屋を覗いてみると、友吉|親仁《おやじ》は忰と差向いでヘボ将棋を指している。そいつを捕まえてこの事を相談すると、喜ぶかと思いのほか、案外極まる不機嫌な面《つら》を膨《ふく》らましたもんだ。
「それはドウモ困ります。私は日蔭者で沢山なので、先生のために生命《いのち》を棄てるよりほかに何の望みもない人間です。あんなヘッポコ役人の御機嫌を取って、罪を赦《ゆる》してもらう位いなら、モウ一度、玄海灘で褌《ふんどし》の洗濯をします。まあ御免蒙りまっしょう」
 というニベもない挨拶だ。将棋盤から顔も上げようとしない。このおやじ[#「おやじ」に傍点]がコンナ調子になったら梃《てこ》でも動かない前例があるから弱ったよ。
「しかし俺が承知したんだから遣ってくれなくちゃ困るじゃないか。今更、そんな人間はいなかったとは云えんじゃないか」
 とハラハラしながら高飛車をかけて見ると、おやじはイヨイヨ面《つら》を膨らました。
「それだから先生は困るというのです。アノ飲み助のお医者さんも云い御座った。先生は演説病に取付かれて御座るから世間の事はチョットもわからん。しかしあの病気ばっかりは薬の盛りようがないと云って御座ったがマッタクじゃ。……一体先生は、アイツ等が本気で爆漁実演《ドン》を見たがっていると思うていなさるのですか」
 と手駒を放り出して突っかかって来た。イヤ。受太刀《うけたち》にも何にも吾輩、返事に詰まってしまったよ。実をいうと二日間の講演をタッタ三時間に値切られてしまった不平が、まだどこかにコビリ付いていたんだからね。こう云われると頭が妙に混線してしまった。そのまま眼をパチパチさせていると、おやじはイヨイヨ勢い込んで突っかかって来る。
「……先生は駄目だよ。演説バッカリ上手で、カンが働らかんからダメだ。その役人連中の云い草一つで、チャンと向うの腹が見え透いているじゃありませんか。……ツイこの間も云うたでしょう。今度初まった爆弾漁業《ドン》の仕事ぶりが、どうも私の腑《ふ》に落ちんところがある。この前のドン退治の時と違うて検挙の数がまことに少ないし、評判もサッパリ立たん。その癖に、下関《しものせき》から上がる鯖の模様を船頭連中に問うてみるとトテモ大層なものじゃ……昔の何層倍に当るかわからんという。値段も五六年前の半分か、三分の一というから生やさしい景気じゃない。不思議な事もあればあるもの……理屈がサッパリわからんと思うとったが、わからんも道理じゃ。彼奴《きゃつ》等はこの前に懲《こ》りて、用心に用心を踏んで仕事に掛かってケツカル。朝鮮中の役所という役所の当り当りにスッカリ手を廻わして、仲間外れの抜け漁業《ドン》ばっかりを検挙させよるから、吾々の眼に止まらんです。……今来ているそこ、ここの有力者というのは、一人残らずそのドン仲間の親分株で、役人連中は皆、薬のまわっとるテレンキューばっかりに違いありません。そいつ等《ら》が、先生に睨まれんように、わざと頬冠りをして聞きに来とるに違いないのです。それじゃケニ先生の演説が聞きともないバッカリに、そげな桁行《けたはず》れの註文を出しよったのです。……それが先生にはわかりませんか……」
 と眼の色を変えて腕を捲くったもんだ。
 今から考えるとこの時に、このおやじの云う事を聞いていたら、コンナ眼にも会わずに済んだんだね。……このおやじの千里眼、順風耳《じゅんぷうじ》のモノスゴサを今となって身ぶるいするほど思い知らされたものだが、しかしこの時には所謂《いわゆる》、騎虎《きこ》の勢いという奴だった。そういう友吉おやじを頭から笑殺してしまったものだ。
「アハハハ。馬鹿な。それは貴様一流の曲り根性というものだ。お前は役人とか金持ちとかいうと、直ぐに白い眼で見る癖があるから不可《いか》ん。……よしんば貴様の云うのが事実としても尚更の事じゃないか。知らん顔をして註文通りにして遣った方が、こっちの腹を見透かされんで、ええじゃないか。……アトは又アトの考えだ。……とにかく今度の仕事は俺に任せて云う事を聴け。承知しろ承知しろ……」
 と詭弁まじりに押付けたが、そうなると又、無学おやじだけに吾輩よりも単純だ。云う事を云ってしまった形でションボリとなって、
「それあ先生が是非にという命令なら遣らんとは云いません。腕におぼえも在りますから……」
 と承知した。するとその時に廿歳《はたち》になっていた忰《せがれ》の友太郎も、親父《おやじ》が行くならというので艫櫓《ともろ》を受持ってくれたから吾輩、ホッと安心したよ。友太郎はその時分まで、南浜《なんひん》鉄工所に出て、発動機の修繕工《つくろい》を遣る傍《かたわ》ら、大学の講義録を取って勉強していたもんだが、それでも櫓柄《ろつか》を握らしたらそこいらの船頭は敵《かな》わなかった。よく吾輩の釣のお供を申付けて見せびらかしていた位だったからね。
 そこでこの二人を連れて、釜山公会堂に引返して、判事や検事連に紹介したが見覚えている者は一人も居なかった。……断っておくが友吉おやじは、再生以来スッカリ天窓《テッペン》が禿げ上ってムクムク肥っていた上に、ゴマ塩の山羊髯《やぎひげ》を生やしていたものだから、昔の面影はアトカタも無かったのだ。又忰の友太郎も十二の年から八年も経っていたのだから釜山署で泣いた顔なぞ記憶している奴が居よう筈はない。そこで釜山署に押収しておった不正ダイナマイトを十本ばかり受取った友吉親子は早速準備に取りかかる。吾輩も、午後の講演をやめて明日の実地講演の腹案にかかった。……先ずドンを実演させて、捕った魚の被害状態をそれぞれ程度分けにして見せる。これは魚市場から間接にドン犯人を検挙するために必要欠くべからざる智識なんだ。それから爆薬製作の実地見学という、つまり逆の順序プログラムだったが、実をいうと吾輩もドン漁業の実際を見るのは、生れて初めてだったから、細かいプログラムは作れない。臨機応変でやっつける方針にきめていた。
 一方に各地の有志連は慶北丸をチャーターして万般の準備を整える。一方に吾輩を千芳閣に招待して御機嫌を取ったりしているうちに、その日は註文通りの静かな金茶色に暮れてしまった。

 と
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