のを。けれども今は歎いても仕方がない。それよりももっと大切な鏡を引き上げるのが、何より肝要だ。
 この鏡は二人の身代りだ。この上もない大切な形見だ。王様のお望みの品だ。さあ御苦労だが皆の衆、元気を出して引いた引いた」
 と涙を払って頼みましたから、皆の者も励まされて、疲れた身体《からだ》を起こして、一所に涙を拭き拭き、又もや綱に取り付きました。
 それからその夜は夜通し引きましたが、綱は相変らず二三寸|宛《ずつ》しか上って来ませぬ。とうとうその翌日《あくるひ》終日《いちにち》、その翌る晩も夜通し、その又翌る日も終日《いちにち》、入れ代り立ち代り大勢の人々が、オイオイ泣きながらこの綱を引きましたが、やっと三日目の晩方、いよいよ綱が残り少なくなりますと、不思議や今まで雲一ツ見えなかった空が、俄《にわか》に墨を流したように掻《か》き曇《くも》って来まして、忽《たちま》ち轟々《ごうごう》と雷鳴《かみなり》が鳴り初め、風が吹き、雨が降りしきりまして、海の上は何千何万の白馬黒馬が駈けまわるように波が立って、沢山に繋《つな》ぎ合わせた船を一時《いちじ》に揉《も》み潰《つぶ》そうとしました。けれども皆
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