捕へ来れば、前なる婦人を彼《か》の寺男、馬十に与へて弄《もてあそ》ばさせ、遂には打殺させて山々谷々の窮隈々々《くゞま/\》に埋めさせ来りしもの。五月雨《さみだれ》の生暖かき夜なんどは彼方の峯、此方《こなた》の山峡《やまかひ》より人魂の尾を引きて此《この》寺の方へ漂ひ寄り来るを物ともせぬ強気者《したゝかもの》に候ひしが、妾《わらは》を見てしより如何様にか思ひ定めけむ。
その翌《あく》る朝早く、父上は吾が身の行末を頼む由仰せ残されて四国へ旅立ち給ひぬとて、ひたすらに打泣く妾《わらは》をいたはり止めつ。今より思へば殺し参ゐらせたらむやも計り難けれど、世知らぬ乙女心のおぞましさに其《その》時は夢更《ゆめさら》心付き候はず。これはこれ切支丹の煙草|唖妣烟《オヒエム》なり。これを吸ひて睡り給はば、旅路を行き給ふ父上の御姿見ゆべしなぞ仮りて喫はせられし香はしき煙に酔ひて眠るともなく眠り候ひしが、その間に吾身は悲しくも和尚のものと成り果てはべり。
さる程に不思議なる哉、一度《ひとたび》、吸ひし唖妣烟《オヒエム》の酔ひ心地、その日より身に泌み渡りて片時も忘るゝ能はず。妾は父上の御事、鬼三郎ぬしの御事
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