、これをしも恋心とや云ふらん。恐ろしかりし鬼三郎ぬしの御顔ばせ夜毎、日毎に頼もしく神々しく、面影に立ち優り侍《はべ》り。
 さは去りながら其折の藩内の騒動は一方ならず。御身の御両親も、わが父君も家道不取締の廉《かど》を以て程なく家碌を召し放され給ひつ。そが中に御身の御両親、御兄弟の御行末は如何《いかゞ》ありけむ。わが身は父上と共に家財を売代《うりしろ》なし、親子の巡礼の姿となりて四国路さして行く程もなく、此の山中に迷ひ入り、此の寺に一夜の宿を借り候ひぬ。
 去る程に此寺の住持なりし彼《か》の和尚は、もと高野山より出でたる真言の祈祷師にて御朱印船に乗りて呂宋《ルソン》に渡り、彼《かの》地にて切支丹の秘法を学び、日本に帰りて此の廃寺を起し、自ら住持となりし万豪|阿闍梨《あじやり》と申す者に侍《はべ》り。先程より察し給へる如く、世にも恐ろしき悪僧にして、山々の尾根/\を駈けめぐる事、わが庭内の如く、火打鉄砲にて峠々の旅人を脅やかし殺し、奪ひ取りし金銀財宝を本堂の床下に積み蓄へ、女と見れば切支丹秘法の魔薬にかけて伴ひ来り、有無を云はさず意に従へ、共々に快楽に耽《ふけ》り、やがて又、新しき女性を
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