、旅の模様を聞かせよと云ふ。
われ些《すこ》しも躊躇せず。われは御覧の通り、面相の醜きより菩提心を起して仏道に入りし者なりとて、空言《そらごと》真事《まごと》取り交ぜて、尋常の六部らしく諸国の有様を物語るに、聞き終りし和尚は関羽鬚を長々と撫で卸しつ。呵然として大笑して曰《いわ》く。こは面白き御仁に出で会ひたるものかな。われ平生より人の骨相を見るに長《た》け、界隈の人に請はるゝまゝに、その吉凶禍福を占ひ、過去現在未来の運命を説くに一度も過《あやま》つ事なし。今、御辺の御人相を見るに、只今の御話と相違せる事、雲泥も啻《たゞ》ならず。思ふ事、云はで止みなむも腹ふくるゝ道理。的中《あた》らずば許し給へかし。御辺は廻国の六十六部とは跡型《あとかた》も無き偽り。もとは唐津藩の武士にして本名は知らず。片面鬼三郎にて通りし人也。嫁女の事より人を殺《あや》め、長崎に到りて狼藉の限りをつくされしが、過ぐる晩春の頃ほひ、丸山初花楼の太夫、初花の刑場を荒らし、天地の間《かん》、身を置くに所無く、今日《こんにち》此処《このところ》に迷ひ来られし人と覚《おぼ》し。如何にや。わが眼識。誤りたるにやと嘲笑《あざわら》ひて、威丈高《ゐたけだか》にわれを見下したる眼光、鬼神も縮み上る可き勢なり。
されども、われ些しも驚きたる頗色《けしき》をあらはさず。莞爾として笑み返しつ。如何にも驚き入つたる御眼力。多分お上より触れまはされし人相書を御覧《ごらう》じたるものなるべし。半面の鬼相包むべくもあらず。如何にも吾こそは片面鬼三郎と呼ばるゝ日本一の無調法者に候。さりながら、われ長崎に居りたる甲斐に、唐人の秘法を習ひ覚え、家相を見るに妙を得たり。すなはち此の寺の相を観《み》るに、是《こ》れまことの天台宗の寺に非ず。本尊は聖母マリアにして羅漢は皆十二使徒なり。美しき稚児《ちご》を養ひて天使に擬《なぞら》ふる御辺の御容体は羅馬《ローマン》加特里克《カトリク》か、善主以登《ゼスイト》か。いづれにしても禁断の邪教、切支丹《キリシタン》婆天蓮《バテレン》の輩《ともがら》に相違あるまじと云ひ放つ。その言葉の終らぬうちに和尚の血相忽然として一変し、一間ばかり飛び退《しさ》りて、懐中《ふところ》に手を入れしと見る間に、金象眼したる種子島《たねがしま》の懐中《ふところ》鉄砲を取出し、わが胸のあたりに狙ひを付くる。しかも眼を定め
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