む、他意も無げにうち黙頭《うなづ》きつ。此処《ここ》は筑前国、第四十四番の札所《ふだしよ》にして弘法大師の仏舎利《ぶつしやり》を納め給ひし霊地なり。奇特の御結縁なれば和尚様の御許しを得む事|必定《ひつぢやう》なるべし。暫く待たせ給へとて竹箒を投げ棄て庫裡の方へ入り行きぬ。
 それより何事を語らひたりけむ。やゝ暫くありて本堂の中に大きやかなる足音聞こえつ。やがて本堂の正面の格子扉《かうしど》を音荒らかに開きたる者を見れば、年の頃五十には過ぎしと思はるゝ六尺豊かの大入道の、真黒き関羽《くわんう》鬚を長々と垂れたるが、太く幅広き一文字眉の下に炯々《けい/\》たる眼光を輝やかして吾を見上げ見下す体なり。やがて莞爾として打ち笑ひ、六部殿、庫裡の方よりお上りなされよ。御勤めも去る事ながら夜もすがらの御難儀、定めし御空腹の事なるべし。昨夜の残りの粟飯なりとまゐらせむと云ふ。その音吐《おんと》朗々として、言葉癖、尋常ならず。一眼にて吾が素性を見貫《みぬ》きたるものの如くなり。
 されども、われ聊《いさゝ》かも悪びれず。言葉の如く庫裡に入りて笈《きふ》を卸し、草鞋《わらぢ》を脱ぎて板の間に座を占め、寺男の給仕する粟飯を湯漬《ゆづけ》にして、したたかに喰ひ終り、さて本堂に入りて持参の蝋燭を奉り、香を焚きて般若心経、観音経を誦《じゆ》する事各一遍。つく/″\本尊の容態《ようだい》を仰ぎ見るに驚く可し。一見尋常一様の観世音菩薩の立像の如くなるも、長崎にて物慣れし吾《わが》眼には紛《まぎ》れもあらず。光背の紋様、絡頸《らくけい》の星章なんど正しく聖母マリアの像なり。さてはと愈々《いよ/\》心して欄間《らんま》の五百羅漢像をかへり見るに、これ亦一つとして仏像に非ず。十二使徒の姿に紛れも無し。かゝる山間の、人の通ふとも見えぬ小径の奥に立て籠もり、禁断の像を祭り居る今の和尚は、よも一筋縄にかゝる曲者《くせもの》にはあらじ。よし/\吾に詮術《せんすべ》あり。吾を敵《かたき》とせば究竟の敵《かたき》とならむ。又味方とするならば無二の味方となるべしと心に深く思ひ定めつ。何喰はぬ面もちにて殊勝気に礼拝し終り、さて和尚に請《しやう》じらるゝまゝに庫裡に帰りて板の間に荒|菰《こも》を敷きつゝ和尚と対座し辞儀を交して煎茶を啜《すす》るに、和尚座を寛《くつろ》げ、われにも膝を崩させて如何にも打解けたる体にもてなし
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