と称する人が多い。否。多いどころの騒ぎでなく、現在日本の大衆の百人中九十九人までは「能ぎらい」もしくは能に対して理解を持たない人々であるらしい。
 ところがこの能ぎらいの人々について考えてみると能の性質がよくわかる。
 目下日本で流行している音曲とか舞楽というものは随分沢山ある。上は宮中の雅楽から下は俗謡に到るまで数十百種に上るであろう。
 ところでその中でも芸術的価値の薄いものほどわかり易くて面白いので、又、そんなものほど余計に大衆的のファンを持っているのは余儀ない次第である。つまりその中に「解かり易い」とか「面白い」とか「うまい」とか「奇抜だ」とか「眼新しい」とかいう分子が余計に含まれているからで、演者や、観衆、もしくは聴衆があまり芸術的に高潮せずとも、ストーリーの興味や、リズムの甘さ、舞台面の迫真性、もしくは装飾美等に充分に酔って行く事が出来るからである。
 然るに能はなかなかそうは行かない。第一流の名人が演じても、容易に共鳴出来ないので、座り直して、深呼吸をして、臍下丹田《せいかたんでん》に力を籠《こ》めて正視してもどこがいいのかわからない場合が多い。
「世の中に能ぐらい面白く
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