ないシン気臭い芸術はない。日増しのお経みたようなものを大勢で唸《うな》っている横で、鼻の詰まったようなイキンだ掛け声をしながら、間の抜けた拍子で鼓や太鼓をタタク。それに連れて煤《すす》けたお面を冠った、奇妙な着物を着た人間が、ノロマが蜘蛛《くも》の巣を取るような恰好でソロリソロリとホツキ歩くのだからトテモ退屈で見ていられない。第一外題や筋がパッとしないし、文句の意味がチンプンカンプンでエタイがわからない。それを演ずるにも、泣くとか、笑うとか、怒るとかいう表情を顔に出さないでノホホンの仮面式に押し通すのだから、これ位たよりない芸術はない。二足か三足ソーッと歩いたばかりで何百里歩いた事になったり、相手も無いのに切り結んだり、何万人も居るべき舞台面にタッタ二三人しか居なかったりする。まるで芸術表現の詐欺取財だ。あんなものが高尚な芸術なら、水を飲んで酔っ払って、空気を喰って満腹するのは最高尚な生活であろう。お能というのは、おおかた、ほかの芸術の一番面白くない処や辛気臭い処、又は無器用な処や、乙《おつ》に気取った内容の空虚な処ばかりを取集めて高尚がった芸術で、それを又ほかの芸術に向かない奴が、寄
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