ければ日本の芸術を語るに足らず」「キモノ、フジヤマ、ノウダンス」という傾向が高まって来た。中には自身で「能」を稽古して、西洋に帰ってから自国語で演出して見ようというような熱心家が出て来た。又は米国に行っている教授の世話で、在留邦人が年中行事として能を催す際に、米人のマダムや令嬢が囃方《はやしかた》を受け持つ事にきめている向きがあるという。殊にそんな婦人の中でも、日本人の男性でも掌の痛さと、気合いの烈しさに辟易《へきえき》する大鼓を引き受けている人が居ると聞くに到っては、感心を通り越して瞠若《どうじゃく》の到りである。
 斯様《かよう》な調子で外国人の能楽研究が盛んになるに連れて、日本の芸術家は勿論、一般大衆が能に対して眼ざめて来た。ちょうど外人が日本の錦絵を賞讃して、その中に含まれている尖端的な芸術味を驚異玩味しつつ彼等の芸術に取り入れ初めて以来、日本の芸術家たちが足下から鳥が立ったように錦絵礼讃を初めたのと同一軌である。
 こんな風潮がいい事か、わるい事かは別問題として、徳川時代に於ける錦絵画家の人知れぬ苦心は、かくして明治、大正、昭和の時代に於て酬いられつつある。同様に、足利時代以
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