うになっている。すなわち能は非常に高踏的な芸術であると同時に、一方から見ると、極端に大衆的になっている。貴族的であると同時に平民的であり得るところまで、単純素朴化され、純真純美化されている。
この道理は小謡の一節、囃子の一クサリ、舞の一と手を習っても、直に不言不語の裡にうなずかれる。昨日《きのう》の喰わず嫌いが、きょうは能狂になるくらい端的である。
尚、能の進化は家元制度を参考すると一層よく解る。
家元制度
能は日本の封建時代から生れて来たものであるから、能を職分とする者が世襲制度を執《と》るのは自然の傾向かも知れぬ。しかし、能楽が家元制度の下に発達したに就いては別にモット深い、万止むを得ない理由がある。
能楽の主演者の家元に五つの流派がある。金春、金剛、観世、宝生、喜多(発生の年代順)がそれである。
金春の流風は古雅なプリミチブな技巧を多く含んだ流儀で、極く昔の能楽の姿や精神を見るにはこの流儀の演出を見るがいいようである。
金剛流は金春を今些し世俗向きにしたようなもので、写実的要素やキワドイ変化の手法を多く取り入れられているようである。
観世流は以上の如く
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