変化して来た能楽に、又一転期を劃したもので、部分的にも全体的にも華麗円満な演出を理想としている。金春を下絵、金剛を荒彫りとすれば、観世は彫り上げて磨きをかけて角々を丸くしたようなもので、見方によっては金春の古雅を転化して円満味とし、金剛の尖鋭さを消化して華麗味としたものかとも考えられる。能楽愛好者の九十何パーセントがこの流儀に属しているのは無理もない。
 宝生流は観世流に次いで起ったものだそうである。その流風は観世の円満味を多角的に分解し、華麗味を直線的に引直して、威厳を増した……とでも形容しようか。その流儀の主張は謹厳剛直に在るらしく、殊にその謡方《うたいかた》にそうした特徴があらわれている。
 観世は円満華麗という能の肉付を尊重し、宝生は謹厳剛直という能の骨格を見せていると評しようか。観世の下手がイヤ味になり、宝生の下手が滑稽味に陥り易いのを見ても二流の主張の相違がわかる。いずれにしても二者共にその流風は完成されたものとなっていて、その主張が一般の能楽同好者によく理解される。現在ポピュラーな流儀としてこの二流が動かすべからざる根柢を張っているのは当然である。
 喜多流は最も新しく起
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