《は》う蟻《あり》の影法師まで見えそうである。
 流石《さすが》に沈着な船長もコレには少々驚いたらしい。船橋《ブリッジ》に上《のぼ》って、珍らしそうに白い太陽を凝視している。その横に一等運転手がカラも附けないまま寒そうに震えている。
「逆戻りしたんだな」
「イヤ。波に押し戻されているんです。十八|節《ノット》の速力《スピード》がこの波じゃチットモ利かないんです」
「そんな馬鹿な事が……」
「いや実際なんです。去年の波とはタチが違うらしいんです」
「おんなじ波じゃないか」
「イヤ。たしかに違います」
 一等運転手と船長がコンナ下らない議論をしているところへ、俺は危険を冒《おか》して梯子《ラダ》を這い登って行った。船長は、真向いの聖《セント》エリアスの岩山に負けない位のゴツゴツした表情で云った。
「モウ……スピードは出ないな。機関長《おやかた》……」
「出ませんな。安全弁《バルブ》が夜通しブウブウいっていたんですから」
「……弱ったな……」
 この船長が、コンナ弱音を吐いたのを俺はこの時に初めて聞いた。
「……妙ですねえ。今度ばかりは……変テコな事ばかりお眼にかかるじゃないですか」
「あの
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