学博士の学位を取っている一種の発明狂と来ているんだ。持っているパテントの数《すう》でも十や二十じゃ利かないだろう。みんなこの実験室でヒネリ出したっていうんだから豪勢なもんだろう。去年の冬だっけが、そんなパテントの権利も、巨万の財産も海員|擁済会《ようさいかい》に寄附して、胃癌《いがん》で死んじゃったが、惜しい人間だったよ。……その時分……昭和二年頃には、小型な、軽い、無尽蔵に強力な乾蓄電池の製作に夢中になっていたっけ。世界中の動力を蓄電池の一点張りにするてんで、誠に結構な話だが、その実験をするたんびに、船中の電動力を吸い集めて、電燈を薄暗くしちまったりヒューズを飛ばしたりするのには降参させられたよ。おまけに舶来の絹巻線《きぬまきせん》が気に入らないと云って、自分で器械を作って絹巻線を製作しては切り棄《す》て、作っては切り棄てる事二万|哩《マイル》。その仕事に行き詰まると、今のピストルを二挺持って上甲板《じょうかんぱん》に駈《か》け上る。主檣《メーンマスト》に群がる軍艦鳥を両手でパンパンと狙《ねら》い撃《うち》にして「アハハハハ」と高笑いしながら、落ちて来るのを見向きもしないでスタスタと実験室に引返《ひきかえ》すという変りようだからトテモ吾々《われわれ》凡俗には寄付《よりつ》けない。恐ろしく小面倒な動力の計算書なんかを一週間がかりで書き上げて甲板《デッキ》に持って行くと、「アリガトウ」と云って、見る片端《かたはし》から一枚一枚海の風に飛ばしてしまう。……ナアニ、タッタ一目でみんな頭に入れちゃうんだ。ズット後《のち》になって船体検査なんかが来ると自分で機械の側へ立って、何百という数字を暗記《そら》でペラペラ並べるんだから、計算した本人が舌を捲《ま》いちまう。……そうかと思うと独逸《ドイツ》の潜航艇やエムデンの出現時間と、場所をギッシリ書き入れた海図を睨《にら》んで「モウわかった。彼奴等《きゃつら》の根拠地と、通信網と、速力がわかった」と云うとその海図をクシャクシャにして海へ飛ばす。それから毛唐《けとう》の嫌う金曜日金曜日に汽笛を鳴らして、到る処の港々を震駭《しんがい》させながら出帆《しゅっぱん》する、倫敦《ロンドン》から一気に新嘉坡《シンガポール》まで、大手を振って帰って来る位の離れ業《わざ》は平気の平左なんだから、到底|吾々《われわれ》のアタマでは計り知る事の出来ないアタマだよ。
そうした一種の鬼気《すごみ》を含んだ船長の顔と、部屋の隅でバナナを切っている伊那少年の横顔を見比《みくら》べると、まるで北極と南洋ほど感じが違う。
毬栗《いがぐり》の丸い恰好《かっこう》のいい頭が、若い比丘尼《びくに》みたいに青々としている。皮膚の色は近頃流行のオリーブって奴だろう。眼の縁《ふち》と頬《ほお》がホンノリして唇が苺《いちご》みたいだ。睫毛《まつげ》の濃い、張りのある二重瞼《ふたえまぶた》、青々と長い三日月|眉《まゆ》、スッキリした白い鼻筋、紅《あか》い耳朶《みみたぼ》の背後《うしろ》から肩へ流れるキャベツ色の襟筋《えりすじ》が、女のように色っぽいんだ。青地に金モールの給仕服《ユニフォーム》が身体《からだ》にピッタリと吸付《すいつ》いているが、振袖《ふりそで》を着せたら、お化粧をしなくとも坊主頭のまんま、生娘《きむすめ》に見えるだろう。なるほど毛唐《けとう》が抱いてみたがる筈だ……と思っているトタンに、白いバナナの皿を捧げた小僧がクルリとこっち向きになって頭を一つ下げた。俺の顔を、憐《あわ》れみを乞《こ》うようにソッと見上げた。それから恋人に出会った少女みたいな桃色の、悩ましげな微笑を一つニッコリとして見せたもんだ。
俺はゾッとしてしまったよ。……まったく……魔物らしい妖気が、小僧の背後《うしろ》の暗闇《くらやみ》から襲いかかって来たように思ったもんだよ。
俺は紅茶もバナナも良《い》い加減にして故郷の地獄……機関室へ帰って来た。今にも「オホホホ」と笑い出しそうな人形じみた小僧の、変態的な愛嬌顔《あいきょうづら》と向い合っているよりも、機関室の連中の真黒な、猛獣|面《づら》と睨《にら》み合っている方が、ドレ位気が楽だか知れないと思って……。
ところが機関室に帰ってみると船員の伊那少年に対する憎しみが……否《いな》、恐怖が、予想外に酷《ひど》いのに驚いた。船長《おやじ》が是非ともあの小僧を乗組ませると云うんならこっちでも量見がある……というので大変な鼻息だ。水夫《デッキ》連中は沖へ出次第に小僧を餌にして鱶《ふか》を釣ると云っているそうだし、機関室の連中は汽鑵《ボイラ》に突込《つっこ》んで石炭の足しにするんだと云ってフウフウ云っている。海員なんてものはコンナ事になると妙に調子付いて面白半分にドンナ無茶でも遣《や》りかねないから困るがね
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