白さったらないね。さもなくとも手堅い奴を口説き落して、何とかしてこちらに向かす。向いたら最後、こちらから引外《ひきはず》して逃げまわると、半玄人の悲しさには、青くなったり、赤くなったりして追っかけて来る。そんなのを二三人持っていると、大いに青春の慌しさを感ずるね」
乙「どうも驚いた。君にそんな手腕があろうとは……」
甲「何が君。芸者や女郎とはたちが違うもの。君にその手腕がないので不思議な位なもんだ」
乙「いよいよ呆れたね」
甲「何《な》んならお伴しようか。安値《やすね》で清潔なところを……」
乙「ウン……」
[#ここで字下げ終わり]

     堕落程度と相場

 職業婦人の堕落程度にはいろいろある。
 人間と名のつく以上、堕落の機会を持たぬものはないので、職業婦人は殊にその機会が各種各方面に多いが、ここには只売り物としての堕落方面を述べるに止める。
 芸妓《げいしゃ》はあまり有りふれているから略するとして、その次にありふれているのは女給、女案内人、稍《やや》高級なところではモデル女、女優一切であろう(女車掌の事は前に「新東京の裏面」の項で書いたから略する)。この種の職業婦人は、職業婦人と云えば云えるようなものの、そう改まった名称をつけなくともいい。女優は貴族的の気分で、モデル女は下宿にでも公然と来る点で、女給は安値な点で、又案内女はもっと安値な点で盛に売れている。相場は無論一定しないが、女給が二十円以下、案内女は十円以下と云ったら中《あた》らずといえどもである。普通の安いところを云えば、女給十円、案内女五円位でもあろうか。
 十円位の相手で待合(待合と云ってもいろいろあるが後段参照)に五円乃至三円、花に二三円、合計二十円もあれば充分で、僅々十円乃至七円でも受け合われるという。この辺になると大分|通《つう》になる。
 仮にも女優と名が付くと、女給業よりいくらか高い。モデル女と活動の案内女の話は古いからここには略する。

     女優の券番は?

 職業婦人の第二職業の紹介者、女衒《ぜげん》、周旋人、又はブローカーといったようなものは名前を換えて色々いる。
 女優と云えば、大抵活動や芝居のそれであるが、社長や所長、又は何々主任、専務なぞいうものに渡りをつけなければ、先ずお眼にかかれぬ――そのような仲介者への紹介者は、無論、金と友人である。
 女優はそんな連中の命令? で、セット(待合)にでもローケーション(旅行)にでも来る。時と場合では宴会の席上にも来るが、芸妓のように「アラチョイト」式の活躍はしない。如何にも芸術家然と気取っていて、先ず飾り物といった風である。その癖《くせ》金のかかる事帝劇女優以上だと云う人もあるし、以下だと云う人もある。但、これは宴席の飾り物としての事で、第二次の御馳走としてのねだんは帝劇の以下だと聴いた。いずれにしても、将来、文化的の意義を以て益《ますます》流行する事請合いである。
 その中《うち》政府から勲章が下がるようになるかも知れぬ。

     或る大カフェーの一例

 女給のブローカーは店の番頭や帳場のお神、老女給なぞが受け持っているときいた。しかし実際に当って見ると、どれがどうなるのか一寸見当が付きにくい。
 見当の付いた一例ではこんなのがある。それは浅草の或るカフェーである。
 広い天井一パイの花や紅葉の間に昼夜輝く電燈の下を、十七八から二十歳前後の揃いも揃ったのが二十人程、友禅模様に白エプロンの結び目高やかに右往左往している。ここの女給は、ほかの処みたようにキャッキャとしゃべったり、笑ったりしない。皆伏し目勝ちにして、時たまニコリする位のことで、それが又特徴になっている。聞けばここの女給は或る限られた地方から、或る手段で連れて来て仕込んだもので、うっかり口を利かせると売れ口に関係するのだそうな。つまり顔と肉体美だけを見せ付ける方針らしい。
 それかあらぬか、ここのお客には凄いのが多い。浅草辺のゴロ付き、隠れたる凄腕記者、何々団の壮士、札付きの主義者なぞが、あちらの机、こちらの椅子に陣取って、チビリチビリやりながら、用あり気に出入りのお客に眼を光らしている。
 これに対して、店の入口の処にコック帽の男が一人、そのうしろの机に背広服が一人、帳場に禿頭一人、女給頭一人と居て、なかなか監視が厳重である。こんな処ではなかなか女給と直接交渉(一名万引き)は出来ない。
 ところで尚このほかに、今一人、背広に縞ズボンのリュウとした男がブラブラしていて、時々テーブルの傍《かたわら》へ来て、お客の顔を見ながらヒョコリとお辞儀をする。ニコリと笑うこともあれば、
「入らっしゃいませ」
 とも云う。
 この男を呼び付けて女給の番号を云うと、喰ってもいない洋食の勘定書を持って来る。又はお酒の代として、別勘定にして来ることもあるそうである(この式で只口先だけでいくらと払わせるのも、ほかにいくらもある)。金を払うとすぐにその女給がテーブルに来るという(来ない処もあるが、チップ次第が多いと聞く)。

     奇妙な喫茶店

 以上述べたのは東京の目抜の処の一例であるが、それ以外の低級な処へ行くと、こんな心配も気兼ねもいらぬ。極めて平凡で乱雑である。
 大森、蒲田、その他東京の郊外、市内でも早稲田、下谷なぞのカフェーやバーに這入ると、真白なお化けが飛び付いて来る。椅子が無ければ、初めてのお客の膝の上にでもイキナリ腰をかけかねない。実に手軽い歓楽境である。
 神楽坂のような震災後の目抜の処でもこの流儀のがある。お客はビールと豆位でいつまでも騒いでいるが、流石に女は酒を飲ませぬ事になっている。殊に十二時キッチリに店を締めるから、場末のように見苦しい事はない。但、このような店は、単に十二時以後に於ける、店以外の商売の取引場と見てもいい位のものである。
 尚、特別の特別――かどうか知らぬが、記者の眼にそう見えたのがある。
 一軒しかないのだから処は挙げられぬが、浅草か銀座かと思って頂きたい。或る狭い横町のカフェーに這入ったら、表の割りに内部は奇麗である。
 狭い壁を全部、印度更紗《インドさらさ》模様の壁紙で貼り詰めて、床にはキルクが敷いてある。大理石の机が階下に二つ、二階には只一つある。その只一つの机の真ん中に、香り床しいクリサンセマムドワーフの鉢が、これも只一つ置いてあった。それから正面の壁に美人の写真の額が、これもたった一つかけてある。そこへ十四五の小娘が白いエプロンをつけてチョコチョコと出て来たから、紅茶とお菓子を命ずると、ハイと云って降りてゆきかけた。
「店にはお前一人かね」
 ときくと、黙ってうなずいて降りて行った。記者は煙草を吸いながら考えた。
 ……表は見すぼらしい――内部は見事なカフェー――小娘が唯一人――お客はあまりないらしい。それでいて場所は日本一である。これでどうして商売になるのかしら……。
 こんな事を考えているうちに、小娘がお茶とお菓子を持って階段をソロリソロリと上って来たから、受け取って飲んで見るとなかなか上等のものである。菓子も※[#「凩」の「木」に代えて「百」、第3水準1−14−57]月か木村屋かと思われる。記者は小娘に聞いてみた。
「この店ではお料理もするの」
「イーエ、お茶とお菓子だけよ」
「お客がないね」
「……………」
 小娘は無邪気に笑った。いよいよおかしい。
 記者は正面の壁にかかっている美人写真の絵葉書を指して問うた。
「この写真は誰なの?」
 小娘は又ニコリと笑った。
「このうちの姉さんよ」
「どこに居るの」
「知らない――」
 小娘は笑いながら駈け降りて行った。
 その額縁に立ち寄って見ると、その写真は額縁のうしろからさし込み式になっていて、表面のほかに四枚の美人写真があった。年頃は十七八から二十四五まで順々になっている。それからその額ぶちのうしろに電鈴《ベル》が一つある。
 記者は一寸考えてから、その電鈴《ベル》を押して見た。
 間もなく下から、立派な三つ揃いのモーニングを着た、四十恰好の苦味走った男が上って来た。
「いらっしゃいまし。毎度どうも……」
 とお辞儀をして、記者の向う側に腰をかけた。あらかた様子を察した記者は、この男とこんな問答をした。
「僕は田舎ものでね。勝手がわからないが……」
「エヘ……恐れ入ります……」
「……………」
「……………」
「エー、どれかお気に召したのが?」
「どこに居るね?」
「エー、ここでは御座いませんので」
「どこだね……」
「エエ、いつでも御案内致します。エヘ、そのお気に召したのを御指名下されますれば、エヘ」
 男の眼は早くも用心深そうに輝き始めた。
 記者は失敗《しま》ったと思った。
「いつでもいいって!」
「左様《さよう》で、ここにありますのならどれでも、エヘ……」
「これはどうだね」
「ヘエ。これは三十五円で……」
「半夜かい、終夜かい」
「半夜で、室とお料理だけが別で御座います。終夜だと今二十円お願い致しますので……エヘ」
「高価《たか》いな。じゃ、これは……」
「みな同じで御座います……」
 男の眼はいよいよ警戒的に光って来た。
 記者は社用の名刺以外に、或る特殊な名刺を持っていたので、よっぽどそれを出して見ようかと思ったが、さりとはと思い切ってここを出た。
 その後、或る友人にこの話をしたら、
「それあ新発見だ。恐らく最高級の奴だろう。早速行って見よう」
 と云った。記者が高価《たか》い事を説明して押し止めると、彼は高らかに笑った。
「アハ……。馬鹿な……。それあ出たらめだよ。君は体《てい》よく追っ払われたんだ」
 然るにその友達もその後《ご》そこへ行って失敗したと見えて、帰って来るとすぐ記者に電話をかけた。
「君。駄目だったよ、あそこは。誰か紹介者がなくちゃ……君は例外らしいぜ……」
「そうかなあ……じゃ、名探偵だな、僕は……」
「馬鹿な……いい椋鳥《むくどり》に見えたんだろう」

     文明病としての神経痛

 女医、美容術師、マッサージ師、派出婦、助産婦、保姆、看護婦なぞは、大抵、何々会というものに付属しているが、この何々会に頗《すこぶ》る怪しいのが多い。
 九州地方の看護婦会の会長さんはよく云う。
「看護婦は奥さんの御病気の時に行くのを嫌がります。つい旦那様のお世話をさせられたりして、誤解を受けたりする事がありますので……どうも困ります」
 東京はこれと正反対で、そんなところを撰んでつけ狙う。一方、お客の需要もそんなのが珍らしくない。独身男から、奥さんが病気だと、電話がかかって来るのもないと限らぬ。勿論、会長も看護婦もその方の収入の方がずっと大きい。
 その他、子供の世話と名付けて保姆を、その他の仕事に家政婦や派出婦をといった風に、前の看護婦と同様の意味で営業しているのが、東京市中にかなりあるらしい。但、見わけはなかなか付かない。
 今度、東京でいろんな新智識を得たが、その中でも面白いのは、マッサージ師の上得意で、神経痛という病気である。これは文明病の一種であるが、ちょっと医師にも素人にも見わけが付かないところに、一層文明病としての価値があるのだそうな。というのは、奥様が神経痛にかかって別荘に御祈祷師を呼び寄せると、旦那も又神経痛で本宅に女マッサージを出入りさせるというわけである。最近の神経痛は痛くとも何ともなくて、かかり易くてなおり易く、おまけに見分けが付かないという。便利な病気もあればあるものである。
 但、これ等は、東京人の堕落時代に乗じて今更|流行《はや》り出した病気とは云えないかも知れぬが――。

     恐ろしい看護婦

 私立病院の看護婦に醜業婦同様のものが居る事は古めかしい話である。嘘か本当か知らぬが、看護婦に美人の多い病院は繁昌するという。又、病院の種類に依って、美人を必要としない病院もあるという。さもありそうな事である。
 尚、これも余談ではあるが、こんな話を聞いた。
 東京の女が如何に堕落しても、又はどんなに凄腕になっても、看護婦のそれ程深刻にはなり得ないであろう。言葉を換
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