東京人の堕落時代
夢野久作
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(例)只《ただ》その中に
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(例)映画検閲官|曰《いわ》く
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はしがき
この稿は昨年末まで書き続けた「街頭より見たる新東京の裏面」の別稿である。記者は特にこの稿を作るためには、単に街頭観にのみ依らず、この方面に責任を持っている医師、教育家、司法官、興行者、その他多数の人々に御迷惑をかけて記事の正確を期した。そのような人々の意見とても、記者が実地に調査し且つ共鳴し得たところだけを記者の意見として責任を負うて書いたのであるから、一々氏名を挙げる事は遠慮した。本人の御迷惑になる意味もあるし、さもなくとも不公平になる点が多いから一様に差し控えた訳である。ここに謹んでお詫びをすると同時にお礼を述べておく。只《ただ》その中に警視庁の不良少年少女係後藤四方太氏はこの稿のために非常に有力なヒントを与えてくれた。特に記して謝意を表する事を許して頂きたい。
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各方面の徴候
和漢洋の堕落風俗
東京人は今や甚だしい堕落時代を作っている。西洋風、支那風、日本風のあらゆる意味で堕落腐敗し糜爛《びらん》して行きつつある。
その影響は日本全国に行き渡りつつある。仮令《たとい》これを一時の事と見ても、その影響はかなり永く後を引く虞《おそ》れがある。
現在の日本人は「東京」を無暗《むやみ》に崇拝している。何でも東京が本場でなければならぬ。すべてのものは東京が最新式の最上等と心得ている。この意味から見て東京人の堕落はやがて日本人の堕落である。三百里先の事と思うのは昔の頭である。
この現象がいつ迄続くか。浜口蔵相の節約主義がこれをどの辺《あたり》で喰い止めるか。
この疑問が解決される時機は手近く見たところで今年の三四月であろう。毎年の花時《はなどき》……特に昨年の花時は東京の人気に一大変化を画した時であったから。
しかし今の通りの勢《いきおい》ならば、東京人の堕落傾向はなかなか止まるところでない。却《かえっ》てこの花時を区切って全盛時代を見せるかも知れぬ。又は第二期の深刻味をあらわし始めるかも知れぬ。
いずれにしてもこの春が問題である。この記事がそうした人気や風俗の移りかわりを見分ける標準となったら幸である。
更に地方の特色の美しさや尊さを忘れて、東京を神様のように思っている人々のために、又はその子弟を東京に遣っている人々のために参考となったら、記者の苦心はどれ位酬いられるであろうか。
警視庁の映画検閲官|曰《いわ》く
東京人の堕落時代を描き出す前に、取り敢ず読者の記憶を呼び起しておかねばならぬ事がある。
昨冬二十六日付の九州日報夕刊に大略左のような記事が載っていた。
× × ×
大正十三年の一月から十一月まで警視庁で検閲した映画の数が一万八千巻、千六百|呎《フィート》、切った長さが約六万|呎《フィート》……以て如何に「活動」が盛《さかん》であるかがわかる。
次に切ったフイルムを国別にして見ると、
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検閲巻数 同上呎数 切除呎数
日本物 七、九五四 六、九一七、三二一 三六、四三四
米国物 七、六九六 六、八一〇、五六三 一九、三三六
欧州物 九一三 八三二、七四八 三、七〇〇
合計 一六、五六三 一四、五六〇、六三二 五九、四七〇
[#ここで字下げ終わり]
となる。即ち割合から見て日本映画は欧州物よりも二三割方多く切られているし、米国物に比べると殆ど二倍近く切られている。
外国映画が教育に有害だと今頃云っている人は、本当に頭の古い人である。
尚、右に就いて警視庁の興行係長長田島太郎氏は左のように説明を付け加えている。
「由来、大災害の後には人心が弛緩して、民衆の実生活も余程淫蕩に流れる。安政の大地震や明暦の大火の後にも、放逸な仮宅《かりや》生活や、諸職人の金廻《かねまわ》りのよかった関係から、淫風蕩々たるものがあったことは史実の証明するところである。昨今、淫蕩場面の映画が歓迎されるのも、昨秋の大震災の民心に影響した結果であろうと思われる」云々。
映画製作業者曰く
東京郊外の或る大撮影所長は云う。
「活動の筋書欠乏は久しい話ですが、集まって来る原稿が皆狙いどころをそれているのにも困ります。先ず濃厚なところが七分、活劇的なところが二分、革命的な思想が一分といった割合で作れば大丈夫受けます。その中でも革命的な思想という奴は、ホンの筋を運ぶための背景位に取り扱って差支えないので、濃厚なところを主眼にして、ダレさせないために和漢洋各式の立廻りで気分を破って行くといったようなのが一番よろしい。つまり現代人の要求する場面は徹頭徹尾性的に深入りした場面で、ほかはホンのあしらいに過ぎませんネ」
と。そこの撮影監督は又これに裏書して曰く、
「まったくです。近頃は甘物の連続でウンザリしているのです。大体わかり切った甘い材料を、どう料理したら飽きさせずに喰わせる事が出来るかと、毎日毎日そればかり苦心させられます。地震後は一層それが非道《ひど》くなったので、もう今ではこちらが中毒のフラフラ気味です。面白いのは地震ものが一向受けないのに、集まって来る脚本はどれもこれも地震を取り扱っていることです。一ツは当局初め一般の所謂《いわゆる》常識階級が、あの大地震を一種の教訓の意味にばかり考えて皆に宣伝するために、反感を起したものとも見えます。現在の東京人は『地震』と云うと――すぐに『ソラ又《また》天の何とかだ』と感づいて、出来る限りこれを避けよう、思い出すまい、そうして享楽しよう享楽しようとばかり考えているようです。地震の反動とでも云いましょうか」
云々と。これ等の話は皆よく東京人の堕落時代を裏書している。
痛切な悪魔の標語
震災直後の東京ではライスカレー一皿で要求に応じた女が居たと甲《たれ》も乙《かれ》も云う。そのライスカレーは、玄米の飯に馬鈴薯と玉葱の汁をドロドロとまぜてカラシ粉をふりかけたもので、一杯十銭位であった。
これ以上の高等なのも居たろう。これ以下の無茶なのも居たろう。とにもかくにも震災後間もない東京の人間は、人間性の美点と醜点とを極度までさらけ出した。その醜い半面のこうした傾向が如何に烈しいものであったかという一例がこれである。
彼等東京人は食物に飢えたように性欲にも飢え渇いた。その烈しい食欲と性欲は、彼《か》の灰と煙の中でかようにみじめに交易された。
彼等の自制力は地震で破壊された。土煙と火煙を吹いた。
「こうなればもう何でもいい」
という投げやりの考え、六ヶ《むずか》しく云えば彼等は悪魔の標語を徹底的に味わった。
「必要の前に善悪無し」
この悪魔の標語ポスターは今も尚、新東京の暗黒面の至る処にブラ下がっている。上中下各階級の人々は互にその同階級の人々と風儀を紊《みだ》し合っている。同時に上流は下層に、下層は上流に対して、益《ますます》その自由行動の範囲を広めつつある。
性欲秘密薬と書画
最近の東京では、性病又は性病予防等に関する秘密薬の売れ行きが盛である。Y書(学生語)出版も同時に大流行である。これ等の売薬や書籍は白昼堂々と店頭に曝《さら》されている。いずれも数年以前はその筋のお許しが出なかったものばかりである。
これと同様に秘密の石版画、秘密のP・O・P、秘密の謄写版刷は、東京の暗《やみ》から暗《やみ》へ、恰《あたか》も独逸《ドイツ》の紙幣のように波を打ちまわっている。その価格も震災前の半分内外だという。
このような商売をするものは、震災後、その筋の調《しらべ》の行届かぬのに乗じて非常に沢山出来たらしく、その商品は一時東京市中に生産過剰を来たした。一方に、被服廠その他の死体写真の秘密売買で呼吸を覚えた連中は、引続いてこの商売を引き受けたと伝えられる。
現在では市内の商売が落ち付いて来た結果、このような生産物がよほど減ったらしいが、それでもかなり多い事はその筋の差押え高でわかる。
怪しい大道商人
以前東京では、縁日の出はずれ、浅草、神田、京橋|辺《あたり》の露店の切れ目、活動館の付近、人通りの多い近所の蔭暗い処に、蝋燭《ろうそく》を一本立てて怪し気な絵を売買したものである。あとで見ると、忠臣蔵、弥次喜多、女と男の柔道の絵なぞで、買って少し行ってのぞいて見る間のねうちであった。中には本物もあったという。
この商売が今は動的となった。
日が暮れて九時頃になると、見すぼらしい風をして往来に出る。番頭風もある。労働者風もある。いずれにしても見すぼらしくなければいけないそうである。程よい人間を見るといきなり擦寄《すりよ》る。絵をチラリと見せて、一枚一円とか二円とか云う。相手を恐れるような、脅迫するような、そうして今にも逃げ出しそうな態度を見せるのが一番有効だそうである。これは死体写真の売り方と同一で、慣れると相手に品物を渡す。自由に見せながら、見え隠れについて行く。程よいところで金をせびる。もっと熟練すると、白昼、繁華な往来でもやれるそうである。
同じ夜の九時過に、前のよりすこし上等の風をしてお客を探し出す。二三間離れた処から帽子を脱いで、心安げな、意味ありげな笑顔を見せて近付く。品物は見せずに、肩を並べてあるきながらお客の顔をのぞき込んで、
「突然失礼ですが、例の秘密写真は如何で。一枚一円から二十円までいろいろあります。ブックもあります」
と露骨に云う。声は低いがハッキリしている。道でも聴くか、煙草の火でも借りるような態度である。そうして相手がうなずくと、共同便所や自動電話に連れ込む。
この売り方は最新式で、二十円云々は只相手の好奇心をそそるに過ぎぬ。一枚二十円の秘密写真ときくと、見るだけでも見たくなるのが人情だそうである。
このような行商人? の中に、只美人の絵葉書だけを持っているのがある。これはどんな人間が買うか。いくらで買うか。何になるのか。後に職業婦人の項で説明する。
東京市中の暗い処を歩いていると、時々この種の商人にぶつかる。バラックになってから、特に暗い横町が殖《ふ》えたから便利である。
何々ビル、何々会社という処には、白昼、こうした商人が出没するという。実見はせぬが、事実であろうと思われる。
その筋の取締《とりしまり》が弛んだ
俗に云う禁止物に対するその筋の取締が、この頃では眼に見えてゆるやかになった。特に東京ではそう見える。
裸体物を取り入れた公刊の絵葉書、書籍の表紙なぞが、九州よりも多く店頭に曝されている。展覧会の絵や彫刻、活動写真の濡れ場、接吻なぞの場面も同様に殖えた。
その中でも活動の看板やビラに血をあしらったのが殖えて来た。これは九州方面も同様らしく思われるが、特に注意する価値がある。頽廃思想の産物である変態性欲と関係があるから。そうしてこの傾向は、目下、東京で盛に醸成されつつあるように記者の眼に見えるから。(後段参照)
いずれにしても、二三年前と比べると隔世の感がする。
尚、このようなあらわれ[#「あらわれ」に傍点]の裡面には、堪切れぬ社会の要求が、ある拒み難い力となって当局を動かしているのではあるまいかと疑っている向きもある。参考のため書き添えておく。
或る秘密画家の話
或る日の正午、記者は日比谷交叉点付近のカフェーに腰を卸《おろ》して、注文の来る間ズボンのゴミを払っていた。
すると直ぐ横の卓子
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