け沢山に調査すれば、わけなく解る問題である。東京市内にある相談所、紹介所、又は会社や銀行の職業婦人を取り扱う掛りの人々は、こんな材料をいくらでも話してくれる。
職業婦人堕落の原因は、極めて平凡で、しかも最も奇抜な結果になるのである。
世間の世智辛さと教育から来た弊害
世間がだんだんと世智辛くなるのは、大昔から今日まで引きつづいた事である。その中でも最も早く世智辛くなる処は、何といっても東京であった。田舎の人々が都会へ都会へと集まる傾向は、一層この状態を甚だしくした。
女子供でも遊んでいられなくなった。親子兄弟の間でも、個人主義にならなければやり切れなくなった。
外国から輸入された思想はこの傾向をいよいよ高潮さした。日本の教育=忠孝仁義を説きながら、実は物質万能、智識万能を教える日本の教育当局の方針も、この思想を益《ますます》底深く養い上げた。
日本の女子供は、非常に早くから、生活とか権利とかいう言葉の意味を知るようになった。試験に及第する事、学問のよく出来る事が、即ち生活の基《もと》であり、享楽の種であるという意味で、現在の日本の若い男女は悉《ことごと》く文化の歎美者であり、物質万能主義者となったわけである。
そうした事情と、こうした教育の中から職業婦人が生れた。紡績の工女、看護婦、交換嬢、女給、店番なぞいう、小学卒業程度でもつとまるのを初めとして、タイピスト、事務員、女教員なぞいう高女卒業程度のものまで盛に要求され出した。もっと進んだものとしては、婦人速記、製図手、外交員、会計助手、歯科医なども近々殖えそうである。このような傾向に伴った、日本女性の向学心の旺盛な事は、日に月に当局を喜ばした。
同時に、無智で単純な女でなければつとまらぬ「女中」は、益《ますます》払底して来た。「高級家政婦」を求むる広告が、日に増し新聞紙上に増加して来た。
これに対して、時間|極《ぎ》めの女中を世話する派出婦会が、東京市中に殖えて来た。これも新生な意味の職業婦人に入れられると云う人と、入れられぬと云う人とあるそうである。前者は大抵婦人で、後者は大抵男だそうである。
彼女達の三資本
職業婦人はこうして次第に東京を横行し始めた。
彼女たち職業婦人は裏と表と両方の意味に於て、生活という事を理解している。
彼女たちの資本は、その「健康」と、「美」と、「あたま」との三つである。その中で最もねうちある資本が、その「美」であることは云うまでもない。だから彼女たちの大部分はうら若い連中である。
彼女たちのこの三つの資本のうち二つか三つかが使い切られた時、彼女達の職業婦人としての価値はどうなるか。彼女達は如何にして生きて行こうとするであろうか。それは今から十年後の東京に来て見なければわからない。又彼女達自身も考える余裕を持たぬであろう。
彼女たちはこの三つの資本を最も大切に且つ最も厳重に保護してくれる人々、即ち旧式の家庭や社会から逃れ出た。彼女達はこの意味に於て全然解放されていると云ってもいい。彼女達が自身に金を儲けるという事は、直《ただち》に家庭と社会に対する精神的の自由を意味するからである。
職業婦人の新智識
彼女達は、その「健康」、「美」、「あたま」という三つの資本を自分の思う通りに使い棄て得る新世界に、「職業婦人」の名に依って解放された。
その自由境は五色七彩の目も眩《くら》むばかり輝くバラックの都市であった。彼女たちの「あたま」はあまり要求しない代りに、彼女達の「美」を無理に要求する震災後の東京であった。
その新世界の夜を飾るイルミネーションを、彼女達はベツレヘムの星と仰いだ。そこに存在するあらゆるものを、その新たに解放された眼で見、耳で聴いた。そのために彼女達は現代婦人の中で最も新しい頭を持つことになった。
教育、理智、常識、道義心、そのようなものに囚われた婦人とはまるで違った意味で社会を理解した。彼女たちは社会をありのままの状態で知った。
彼女達職業婦人は、雑誌を読んで新しい事を知ると同時に、これを実地に見ることが出来た。新しい言葉を知った時は、実地にこれを使った時であった。新しい歌をおぼえた時は、異性の喝采を受けている時であった。同様に社会の暗黒面、又は人間の弱点なるものを想像でなく体験する事が出来た。
彼女達は生活というものの本当の意味を知ると同時に、ストライキ、サボタージ、反逆、裏切り、社会主義、享楽主義、刹那主義なぞいう言葉の本当の意味をも知った。知ると同時にこれを実行し得る自由を持っていた。何となれば、彼女達は自分で働いて喰っているからである。
彼女達はこの意味で新東京の新文化の表面と裏面とを同時に支配している。そこに最も自由な華やかさと、最も深刻な暗さとを刻み込んでいる。
不浄世界と紙一重
職業婦人が見た実際の世界……それは、吾家の忠孝仁義から他家の温良貞淑へ渡されることに慣れていた、在来の日本婦人の大部分が夢にだも想像し得ないものであった。
彼女たちは驚いたであろう。魘《おび》えたであろう。しかし、生活の鞭に追われて毎日毎日この社会に出入りしているうちに、彼女達は次第にこの不忠孝不仁義の気儘さに見慣れ、聞き慣れて来た。そうして、男と同様に社会に働く彼女たちには、矢張り男と同様に享楽する権利を与えられなければならぬ理由を認めた。
彼女たちが男性の弱点――もしくは裡面というものを真実に知り得るのはこの時代でなければならぬ。あとは只、これに共鳴するかしないかという紙一重の境目《さかいめ》に彼女達は毎日毎日立たなければならなかった。
しかし、因襲的につつましやかな日本婦人の血を受け継いだ彼女たちの大部分は、幾度《いくたび》か迷いつつ踏みこたえた。
けれども又一方に、どうしても踏みこたえ得ない立場に陥ったのもあった。
堕落を早めた地震
彼女達職業婦人はどこに雇われたにしたところが、極めて低い階級に辛棒せねばならぬ。その収入や地位の向上はもとより、その首の切り継ぎまでも彼女達の上役の異性の手に任せねばならぬ。
しかもその上役には彼女達の手腕よりも、彼女たちの美を求むるものが多かった。
彼女達の中には、こうした余儀ない事情から、第二の職業を習いおぼえたものも少くなかったろう。否、職業婦人堕落の原因の中でも、こうした原因はかなりの重大さを持っていると見ていい。
しかしそのほかの光明界に踏み止まった職業婦人――即ち第一の職業だけで満足し、且つこれを一生懸命護り固めて来た若い女性たちの大多数が、遂にその暗黒と光明を隔つる紙一枚の境を踏み破らなければならぬ時が来た。
それは大正十二年の九月一日であった。
読者は記憶しておられるであろう。大正十二年九月一日の大震火災後一二ヶ月の間、東京市中に婦人の戒厳令が布《し》かれた事を。勿論それは公式のものではないが、当局の達示によって自警団員が夜間婦人の外出を禁ずる旨を布告《ふれ》てまわった。
婦人への戒厳令
「新宿、品川、吉原等の遊廓は潰れた。その他の醜業屋も大部分は焼けてしまった。各券番は休業した。東京のあらゆる街々は、夜になると飢えた狼が横行するに任せてある……」
といったような風説、又は事実が口から口へ、又は新聞紙上にあから様に伝えられた。それ程に震災後の東京は飢《う》えていた。この飢に堪え得たものは教育ある上流人士よりほかにない。否、その上流の男女があの震災後如何に身を護りかねて来たか……堕落して来たかは前に述べた通りである。況《いわ》んや下層社会に住む職業婦人がどうして身を護り得よう。
ライスカレー一皿で要求に応ずる女が震災直後に居た事は前に述べた。その後東京市中の秩序が回復して来るに連れて、そのライスカレー一皿の価十銭が五十銭となり、一円となり、五円となって来たことは云う迄もないが、しかし、それは只高価になった迄の事である。野天で売買されなくなっただけであることは云う迄もない。
安飲食店激増の理由
震災後の東京で最も増加したものが飲食店と自動車である事も前に述べた。殊に飲食店は東京市中のすべての半町|毎《ごと》に一つ宛《ずつ》位は必ずある。多いところは一町内の過半数が飲食店と云ってもいい位である。これ等の飲食店は一般東京市民の要求に依って出来たもので、市民と彼女達の仲介業者であった。結局、震災後の東京でその甚だしく増加した商売は、職業婦人の第二職業という事になる。
彼女たちは現在でもこうした安飲食店から、高級な処ではカフェー、洋食店にまで行き渡って第二職業を本職としているのが多い。
一方に復興の東京は彼女達職業婦人の多数を第一の職業に呼び返した。その上に更に夥しい新米の職業婦人を迎え入れた。震災の御蔭《おかげ》で第二の職業を知った職業婦人の多数と、まだ第一の職業しか知らぬ新米の職業婦人の多数とは、こうしてゴッチャになって東京の復興に努力し始めた。
震災後の淫風と生活難の誘惑
昔から大変災のあとに必ず吹き起る事になっている淫風は、蕩々として彼女達職業婦人を包んだ。第二職業の味を占めたものも、占めないものも、一様にポーッとなった。
更に、バラック都市のアクドイ色彩は、夜となく昼となく彼女達を刺戟した。着物道楽の流行で、震災前よりも一層デカダン式にリファインされた男性の姿は、彼女達を朝な夕な眩惑した。
第一の職業しか知らぬ新米の職業婦人は、次第に第二の職業を習いおぼえて来た。
そればかりでない。
震災後の東京に於ける生存競争が、震災前のそれよりも数層倍烈しく乱雑になった。弱い彼女たちを死に物狂いになるまでいじめ上げた。これも彼女たち職業婦人を堕落させる有力な原因となった。
時は金なり、金は生活也。生活の真髄は享楽なりという実際の証拠が、彼女達の眼の前に朝から晩まで走馬燈の如く廻転した。
時、金、生活、享楽――即ち物資文明の産物たる東京のバラック、イルミネーション、エレベーター、店頭装飾、そのようなものの間を駈けめぐる電車、自転車、荷車、汽車、オートバイの響は砂煙を上げ、天地に轟きつつ、まだ気の弱い、生れ立ての職業婦人たちの神経を戦《おのの》かした。
自分の持っている限り無形の資本を、一日も早く有形の資本に易《か》えて、生活の安定を得ねばならぬ、という事以外に彼女たちは何事もわからなくなった。その時に彼女達は、その持っている三つの資本、健康、美、あたまのうち、美がすべてに勝る資本である事を知った。全東京の男性は彼女達の美に飢えている事を知った。殊に彼女達の出世の直接原因となるべき上役、又は彼女達の保護者となるべき富豪を自由にするには、彼女達の美を提供するのが一番である事を知った。彼女達の「美」は彼女達の「頭」の良さを保証し、彼女達の「健康」と「勤勉」とをさえ保証する事を見慣れ、聞き慣れて来た。
………連載一回分(二千字前後)欠………
堕落し立てのホヤホヤ
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記者の友人[#「記者の友人」に傍点]甲「女なら今の東京だね」
記者の友人[#「記者の友人」に傍点]乙「どうして」
甲「どうしてだって、東京の職業婦人はまだ出来立てのホヤホヤだろう。そいつが又堕落し立てのホヤホヤと来ているから、面白いだろうじゃないか」
乙「という意味は……」
甲「頭がわりいな。第一、往来をあるいて、本物の職業婦人かどうかという事をめっけるのが面白いじゃないか。その次には、どんな風に渡りをつけるか。彼女達のブローカーはどこに居るのか。居れば店の中か外かという事を探し出すのが、又探偵小説以上の興味だぜ」
乙「フン、それだけか」
甲「どうして……これからさ。そこで彼女達い有り付くと、玄人《くろうと》ともつかず素人《しろうと》ともつかぬ新しい味わいがあるね。これが前芸で、だんだん深くなると、彼女たちは根が半玄人だからじきにまいって、あべこべに夢中になるのがある。そいつをからかう面
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