《ちぢ》らした式は、在京中、只一人しか見受けなかった。それから、職業婦人で日本髪に結っているのは、その職業が特別のものでない限り極く珍らしい方である。
 尚今一ツ、眼のふちを隈取ったのは九州方面でもよく見受けるが、鬢《びん》のホツレ毛を書いている人はあまり無いようだから、参考のために書いておく。実は東京でもたった一人しか見なかったのだから、流行とは云えぬかも知れぬ。しかし、ほかに見たと云う人が二人ばかしある。
 その女は二十歳前後で、例の耳隠しの大渦巻きの下から頬紅の下へかけて、左右平等に二本並んだ波形の直線を、黒く斜めに描いていた。ほかの連中が見たのも同様であったかどうかは聞き落した。とにかく新しい方では特等賞請合いである。
 次は職業婦人の服装である。

     職業婦人の服装

 職業婦人の服装は、その頭やお化粧程奇抜ではない。田舎風に、無暗《むやみ》にケバケバしいだけである。しかし、中には素晴らしく上品なのや、恐ろしく凝ったのも居ないではない。
 概して、産婆や、女事務員の年増や何かは、貴婦人風を理想としているようである。タイピストや看護婦、女給等は令嬢風、交換嬢や看視女等は女学生に見られよう見られようとつとめているように見える。
 しかし、いくらそんな風になり切っているつもりでも、生活がそうでない限り、どこかにお里があらわれているのは止むを得ない。第一、貴婦人らし過ぎたり、令嬢らし過ぎたり、女学生じみ過ぎたりしているところに、何となく不自然な感じを受ける。まして親たちの指図や許可を得て買った身のまわりと、自分達の勝手な趣味や思う通りの金で買い集めた身のまわりが、感じの点で非常に違うのは当り前である。一方がつつましやかに落付いているのに反して、一方が派手やかに気取っているところに、ありありとネタが暴露している。その上に、彼女等の職業や生活の上から来る気持ちの反映、身体《からだ》のこなし、顔の表情、眼の光りの澄み加減や落ち付き加減にまで注意したら、職業婦人であるかないかは、如何なる場合でも一目瞭然であろう。

     職業婦人が理解し得るバラック趣味

 第二は、彼女たちの背景である。彼女たちの背景となっているバラック都市は、彼女たちの姿をイヤでも派手にせねばならぬように、寝てもさめても刺戟している。
 バラック建築の色や形が如何に派手で変化が多くて、薄っぺらで毒々しいかは前に述べた。そのケバケバしい色や形の中に住む人間は、互に負けないようにケバケバしくするか、又は反対に陰気にジミにするかしなければ引っ立たない。
 新東京の新東京人の中で、男は後の方法を取った。中流社会の着物道楽の項で述べたように、現在の東京で最もハイカラな男といえば、最もジミな青白い服装をした男である。
 一方に、女がこれと反対の流行を作ったのは止むを得ないところであろう。彼女達の服装は弥《いや》が上にも派手に突飛《とっぴ》になって行った。
 芝居の書割りよりも、もっと自由に奔放な形式を使っているバラック建築のデコレーションに調和すべく、彼女達職業婦人は舞台化粧以上に白く塗らなければならなかった。唇を血のように染めなければならなかった。頬をダリヤのように赤く隈取らなければならなかった。思い切って大きな飾りを活躍せしむべく、頭髪の舞台面をどこまでも拡大しなければならなかった。着物の柄は調和を破る位に極端な取り合わせを用いなければ引っ立たなかった。それは趣味の低い彼女たちにもよく理解される趣味であった。

     バラック都市の夜の光線と処女達の美

 彼女達職業婦人が真面目な仕事をする時間は大抵昼間である。したがって、彼女達がその持ち前の美を自由に発揮する時は夜である。
 然るにバラック都市の夜の光線は、水蒸気の多い日本の昼間の光線がすべてをドス暗くみじめにすると正反対に、華やかである。だから彼女たちの姿が、夜の光りに調和すべく、仰山に毒々しくなって行くのは止むを得ないであろう。
 その真似をして真昼間の平和な町をあるく九州地方の婦人の姿が、如何に不気味に阿呆らしいかは皆さん御承知のところであろう。
 神田の或る美容術師はこんなことを云った。
「田舎へのお土産に東京の最新式の髪をという意味の御注文がよくあります。しかし東京式の結い方はあまりお上品向きでありませんから、お客様のお姿や服装から御家庭をお察しして、苦心しいしい調和よく結って差し上げますと、どうも御気に召しません。反対に職業婦人風にして差し上げますと、一も二もなくお喜びになります。すべてお髪《ぐし》は御家庭や、御職業や、又はそのお帰りになるお国の風土によって違います。外国でも気の利いたお方は、御旅行先や御転居先の風俗をよく研究されて、これに調和されて行きます。お料理なぞと些《すこ》しも違いません。福岡ならば福岡風があるのが本当なのです。日本中が東京風になるのは、日本の方がまだ本当の趣味を御理解なさらぬためだと考えられます」云々。

     千束町式、蠣殻《かきがら》町式

 東京の職業婦人の服装を、あんなに馬鹿馬鹿しく派手にした第三の原因は極めて深刻である。
 御存知の方もあろうが、昔、東京に千束町風又は千束町式、千束町スタイルなぞいう熟語があった。千束町というのは浅草観音の裏手にある醜業窟で……なぞ云ったら笑われるかも知れぬが、順序だから仕方がない……醜業婦の理想的なのがウジャウジャ居て日本中の男の油を絞った。その税金は浅草区有数の財源となっていた。
 そこの女達はあらゆる派手な姿をしていた。頭の天辺《てっぺん》から足の爪先まで、極端な派手ずくめの低級趣味で男を引き付けた。その女達特有の毒悪な安香水は千束町香水と呼ばれた。
 今の東京の職業婦人のスタイルは、この千束町式の変化したものに外ならぬ。その派手やかさとダラシなさ加減は、低級趣味の男の欲情をそそるのに最も適当している。
 今一つこれも知ったか振りであるが、約二十年近く前から東京に蠣殻《かきがら》町式という言葉が出来た。これは蠣殻町の取引所界隈にあった高等内侍のスタイルで、千束町式ほど下劣でなく、どちらかと云えば貴婦人好みが多かった。多分はお相手をする相場師連の嗜好から生れたものであろう。これが発達して帝劇美人式となって、現在の貴婦人のスタイルに影響したものかどうか知らぬが、そんな感じがする位である。今の東京に於ける女医、産婆、美容術師等いう年増の職業婦人は、大抵この流れを汲んだスタイルをしているので、駈け出しの刑事なぞにはとても見分けが付かないそうである。

     アレは職業婦人!

 職業婦人はその服装が如何に立派であっても、どこかに彼女たちの裏面の生活が反映しているものである。彼女たちは金を儲けるために働かなければならぬ。一日のうち何時間かは自己を殺していなければならぬ。その代り、彼女達は又、家庭の女が持ち得ない自由な時間と金を毎日いくらか宛《ずつ》持っている。その時間と金とを彼女たちは勝手気儘に使って、虐《しいた》げられた自己を慰める。これを妨げようとするものがあると、彼女たちは猛然として反抗するのが普通である。そうして益《ますます》勝手気儘になる。ダラシなくなる。ムシャクシャを増長させる。彼女達を高尚に、シッカリと、奇麗に、健康に育て上げようという指導者が次第に遠退いて行く。その結果が彼女達の服装に先ず現われる。
 白粉《おしろい》を塗り過ぎる。しかし襟垢《えりあか》は残り勝である。
 髪を大切にする。しかし毛の根は油でよごれている。
 美しい着物を着る。しかし裾にしまりがない。
 取り澄まして歩む。しかし眼づかいは下品である。
 そのほか唇のしまり、好みの調和なぞ、彼女たちのダラシなさを挙げたら数限りもない。しかも現在の東京人は、こんな風に見える女をすぐに解放された女と認めて讃美するのである。そうして男同士の間では、
「彼女は職業婦人だよ」
 と冷笑し合うのである。

     洋装の流行と活動

 職業婦人には時々洋装を見受ける。普通の婦人にも時々見かけるが、よく似合っているのは十人に一人もない。
 洋装の生命とするところは、顔でもなく、尻でもなく、只首と足の恰好だそうで、その中でも足は最も大切な条件なのだそうであるが、日本人の足……殊に女の足は十人が十人駄目である。東京の女学校で汐干狩をやると、皆足を気にしてとやかく云うそうであるが、さもあろう。日本婦人がズングリムックリした、無暗《むやみ》に派手な洋装を尾張大根のような足で運んで行く恰好はあまりよくない。
 おまけに彼女たちはダンスのダの字も知らないのだから、身体《からだ》のこなしが洋服とまるで調和していない。曰《いわ》く何、曰く何と、日本婦人の洋装批難の声はすべての男の批難の的になっている。それでも流行するのは、大方、活動の宣伝がきいているのであろう。

     職業婦人の服装が派手になって行く訳

 職業婦人の服装がどうしてこんなに派手になって行くか。どうしてそんな突飛な流行にまで突きつめて行くか。
 これには大略三つの理由がある。
 第一は彼女達が解放されていることである。彼女たちは金が自由になると同時に、親兄弟の意見を聴かないでも済む権利が出来た。即ち家庭から精神的に解放された。彼女たちは勝手なものを買って、好きに身を飾り得る境遇に這入った。一方、新東京の街頭には、原価の二倍以上の掛け値をした新織物や、新装身具が一パイに並んで彼女達を誘惑しているのである。抜け目のない商人たちはこう考えている。
「今の職業婦人は、今までの日本人の娘としては、真に驚く程の小遣いを持っている。しかも彼女たちの趣味は、育ちが育ちだけに極めて低級である。大きいか、美しいか、珍らしくさえあればいい。安くて、派手で、ちょっと上等のに見えさえすればいい」
 と。彼女たちは、毎日毎日、この手で誘惑されつづけているのである。

     消えゆく処女美

 彼女たち職業婦人はこうした昔の職業婦人の流れを汲んで、更にそれ以上に文化的な、蠱惑《こわく》的な風俗を作るべく工夫を凝らしている。首のつけ根を剃り上げたり、梳き毛をブラ下げたり、ホツレ毛を描いたりするのは、その苦心の最高潮のあらわれと見るべきである。
 職業婦人の名が二重の職業を意味しているとは、彼女たちのこうした風俗からでも訳なく察せられる。
 彼女たちはこうして処女の美を早くから失って行く。同時に夜ふかしや白粉《おしろい》焼け等が、彼女達の「美」と名づくる資本を奪って行く。そのために彼女達のお化粧は日に増し濃くなり、彼女達の頬紅、口紅は日毎に赤くなり、彼女たちの服装は年毎に若返って行く。哀れと云うも愚かである。
 このような不自然な美しさは、昔では色町やその他の限られた場所でしか見られなかったそうである。それが今では全東京の街頭に流れ出した。病院、学校、会社、銀行、商店、カフェー、バーは云うに及ばず見受けられる事になった。時勢の進歩の中でも最もハッキリした進歩はこれではあるまいか。

     彼女達はどうして堕落するようになったか

 記者は弁護する。
 彼女達職業婦人は決して初めから二重の職業を持っていたものでないことを。
 同時に記者は確実に予言し得る。
 一度《ひとたび》此《かく》の如く滔々と白昼の街頭に流れ出して、此《かく》の如く公然と官私の仕事に喰い込んだ職業婦人の職業だけを、二度と再び昔の色町や醜業窟に追い込む事が永久に不可能である事を。
 どうしてこんな事になったか……彼女たち職業婦人の大部分が、どうしてかように二重の職業を習い覚えるようになったか。
 只《ただ》この問題一つを研究するだけでも、人間一代を棄てるねうちがあるかも知れぬ。大正十二年九月以降、東京の市中に二重の職業を持つ婦人が激増した。その後に日本国中の婦人の風俗までが影響を受けて大変化を来たしたという事は、社会学上の大きなレコードだから……。
 しかし又一方から見れば、頗《すこぶ》る簡単明瞭である。彼女たち職業婦人の身の上を出来るだ
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