あろう。思えば地震もいろんな揺れ方をしたものである。上下動何寸、水平動何寸という大ゆれのほかに、このような複雑な大震動が交《まじ》っていた事を思えば、東大の地震計が匙《さじ》を投げたのも無理はない。
 しかもその震動の影響は、なかなかこれ位のことに止まらないのである。
 下層社会の者は、革命と云えば、人殺し泥棒勝手次第という意味に考えるのと同様に、上流社会の人々は、平民的と云えば、不義乱倫自由自在と解釈するのは止むを得ないかも知れぬ。さもなくとも「恋は思案のほか」とやら。
 ……こんな事で記者の頭は古いと思われては困るから、これ位にして上流社会の堕落記をやめる。
 そうして職業婦人の話に移る。
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   職業婦人



     職業婦人の真意義

 職業婦人!
 聞くだに美しく、勇ましい名前である。清い、新しい理想の光りをふり仰いで、一心に働く女性の姿が連想される。
 記者はそんな風に考えて東京に来て見た。そうしたらまるで違っていた。
 職業を持っている婦人……すなわち稼ぐ女を職業婦人というのなら何でもない。上は女官から女学校の教師、小学校教員、女判任官、女医、女歯科医、女薬剤師、婦人記者、婦人速記者、女会計、婦人外交員、女製図師、図書館その他の整理係。すこし有りふれては産婆、看護婦、保姆、タイピスト、女事務員、女店員、見張女、マッサージ師、美容術師、女車掌や運転士、交換嬢、モデル女、女優一切。女給、案内女、仲居、お茶子、芸娼妓もかためて中流に入れようか。ドン底に近付いてはトロの後押し、土方の手伝い、ヨイトマケ、紙屑|撰《え》り、工女、掃除女に到るまで、数えて来ると随分ある。これ等はみんな職業婦人に相違ない。
 しかし、復活した東京の新文化の華《はな》然として、大道を闊歩している所謂職業婦人というのはそんなのではない。もっと新しい、現代的な意味でいう職業婦人である。

     自己見せ付け競争

 現代的職業婦人の名称には、単純な意味と複雑な意味と両方ある。
 単純な方はつまり醜業婦の事である。救世軍や婦人矯風会、又はその筋の言明に依ると、震災後特に馬力をかけて撲滅に努力しているという。又、実際、撲滅されかけているように見える。
 複雑な意味の職業婦人というのは、要するに裏と表と二重の職業を持っている婦人で、こちらは反対にドシドシ増加しつつある。
 この事実を疑うものは、東京人の中に一人も無いと云っていいであろう。
「ああ、あれかい。あれあ、君、職業婦人だよ」
 という言葉は、大抵の場合、この種類の婦人を意味すると考えるのが現代式だそうである。だから記者も、この種類の職業婦人のことを職業婦人と名づけて取り扱う事にする。
 彼女たち職業婦人は、その名前の美しく雄々しいように、その姿も派手で活溌である。最新流行は愚かなこと、永年東京に住んでいる東京人でも眼を丸くしてふり返るような、思い切ったスタイルでサッサと往来を歩いて行く。流行の競争はとっくの昔に通り越して、自分自身が万人の注目の焦点となるべく、あらゆる極端な工夫を凝らしているかのように見える。

     九州で福岡は東京流行の魁《さきがけ》

 九州で東京風の流行の真先に這入《はい》って来る処は福岡で、その次が大分県の別府だそうである。
 それかあらぬか、記者が東京の職業婦人の新スタイルを見て仰天して帰って来て見ると、こはいかん、ツイ一ヶ月ばかり前まで気ぶりも見えなかった福岡の淑女令夫人達が、堂々とその風《ふう》を輸入して、得意然と大道を練り歩いて御座る。別府には行って見ないからわからぬが、これは流行《はや》っているにしても、福岡のように土着の人がやっているのではあるまいから、さまで驚くにも及ばぬであろう。
 四五年このかた流行《はや》り始めた頭の結い方に、「ゆくえしらず」というのがある。今では通俗化して、一般の真面目な人――主として中年以上の婦人がやっておられるようであるが、髷《まげ》が無いために前髪や鬢《びん》をかなり思い切って膨らさねばならぬ。
 東京の職業婦人の頭はここいらから発達したものであろうか。その形の思い切って大きいのが何よりも先に眼に付く。

     頭髪の大きさの競争

 職業婦人の頭といえば、直ぐに一抱えもある毛髪の集団《かたまり》を思い出す。日露戦争当時流行した二百三高地どころでない。五百三から八百三位まである。それへ櫛《くし》やピンの旗差し物が立てられて、白昼の往来をねって行く……と云ったら法螺《ほら》と云う人があるかも知れぬ。
 法螺かも知れぬが、記者は間もなくそんな頭を見慣れてしまった。更にそれ以上の変妙不可思議な頭をいくつも見た。
 尤《もっと》も彼女達は初めからこんな大きな頭をしていたのではない。
 彼女たちは自分の頭を嘗《かつ》て見た最大の頭よりも見栄《みばえ》あらしめるために、一袋十銭のスキ毛を一ツ宛《ずつ》突込んで、遂に三十四十に及んだまでの事である。列強の大艦巨砲競争と似たような原因結果である事は疑われぬ。只、これを制限する華盛頓《ワシントン》会議がない代りに、讃美する新東京人があるだけ違う。だから彼女たちの頭の大きさの競争が、斃《たお》れて後《のち》止《や》むところまで行く。

     丸ビル式と銀座髷

 流石《さすが》に福岡あたりを歩いている新式の髷には、東京の職業婦人のそれのように非常識者なのは無い。これは、福岡の婦人に東京のような意味の職業婦人が少い、従って自己見せ付けの競争が東京程烈しく行われないからであるらしい。
 しかしこの競争もある程度まで行くと、行き詰まりになるのは止むを得ない。そこで今度は恰好の競争が始まる。
 その頭の恰好にも又いろいろある。記者が見たり聴いたりしただけでも新旧百幾通りもある。皆新聞や雑誌で宣伝されているから略するが、その中《うち》で有名な丸ビル式と銀座髷というのについて一寸《ちょっと》説明を加えておく。
 丸ビルというのは東京で丸の内ビルディングの事、銀座は同じく目抜の通りと云ったら笑われるかも知れぬ。それ程|左様《さよう》に有名な建築や町の名を髷に戴いているわけは、その建築や町に出入りする職業婦人に新しい意味の職業婦人が多い証拠である。職業婦人たちが人気と注目の焦点となっている結果である。

     第二職業広告用の理髪

 彼女達職業婦人のグループはこうしたわけで派手を競うた。そうして、その背景や職業に依って服装が違って来ると同時に、頭もこれに釣り合って変化して来た。すなわち背景と職業が似通っているために、その服装から次の恰好にまで共通点が出来て来る。丸ビル式や銀座髷はこうして出来た。
 丸ビルの方は、丸ビルそのものはもとより、付近の背景が皆ガッシリした大建築ばかりで、そこに出入りをする職業婦人は大抵事務員式のスタイルであった。
 銀座の方は大部分バラック式の派手やかなもので、職業婦人といえば大部分飲食に関係ある店の女給である。
 そうした空気の中からこんな髷が生れたのか、それとも或る一人がその特徴から工夫し出して全体に広めたものか、その辺は判然せぬ。いずれにしてもこのような背景や職業に……そうしてその第二の職業の広告に最適当したスタイルである事は云う迄もない。
 尚、丸ビル式は大正十三年の秋の末まで勢《いきおい》があったが、例の不良少女団ジャンヌダルクの一件以来、勢力を打ち消された形になった。これに取って代るべく生れたのが銀座髷かどうか知らぬ。
 もしそうだったら、近い中《うち》に又一騒ぎ持ち上るかも知れぬ。

     髷の恰好とお手本

 職業婦人の頭には、こうしてチャンと名前の付いたのもあるが、尚このほかに名前のわからぬので凄いのが多い。猫型、木魚型、鳥型、帽子型、真甲鯨《まっこうくじら》型とでも名付けたい位である。
 その上から鏝《こて》をかけて大波小波を打たせる。耳のあたりは渦を捲いたように見せかける。それから髷の競争である。
 髷は前髪や鬢《びん》と平均を取るために極度に大きくしたのもあれば、正反対に首の根づるに押下げて小蜜柑大にしたのもある。又は様々の形に結んだり、横たえたり、ブラ下げたりして、横から見ると随分気味の悪い恰好をしているのがある。そこへ例の色羽根や花飾り、飾り櫛、ピン、その他様々の旗差し物を出来るだけ賑やかにあしらったところは、奇観というも愚かである。
 しかし彼女たちが決して出放題にこんな頭を発明したものでない事は、その恰好や装飾品の取合わせをよく気をつけて見ているとわかる。
 彼女たちの頭のお手本は、大抵日本や外国の活動女優、又は雑誌、新聞の挿し絵や口絵を真似したものらしい。中には自分の顔に似合わせたものもある。又はそんな事をお構いなしのもある。

     和漢洋入り乱れた様式の流行あたま

 雑誌や新聞に宣伝されている、新しい髷の結い方を真面目に研究して応用しているのは、職業婦人には皆ないと見た方が至当であろう。勿論、多少影響はしているに違いないが、とてもそんな手ぬるい結い方では満足しないらしい。
 又、例外と見えるのがいくらでもある。
 眉の上まで庇を冠せて、そのうしろに中将姫のようなビラビラを戴いているのがある。
 一方に、低い束髪にしてから、元禄髷に似た縦長い髪毛の束を三寸ばかり上に突上げたのが居るかと思うと、洗い髪同様の髪を玄冶店《げんやだな》のお富《とみ》式にうしろに投げ卸して、その先を三つ組にして輪飾りの七五三のようにしているのがある。この式は将来職業婦人用の頭として最新流行を作るかも知れぬ。
 サザエのツボヤキをずっと大きく高くして、リボンで鉢巻をしているのは、希臘《ギリシャ》の巫女の真似であろうか。行衛《ゆくえ》知らずの行衛を半分見せたようなの、蓮の巻き葉のように左右から巻き込んだのなぞ、数え立てれば限りもない。
 その中で最も風変りな二つの流行は、襟足を剃ることと梳《す》きまき毛をブラ下げることである。これは流石《さすが》の福岡でもまだ行われていない。

     襟足を剃る式

 襟足を剃るのは、無論、束髪に限っている。多分、首を長く見せるつもりでもあろうか。剃り上げた首の左右に限って、二本の毛の束がブラ下がっているのを見受けるところから考えると、アヤツリ人形の真似をしたのかとも考えられる。とにかく、首の付け根からボンノクボの上まで、頭のうしろの半分ばかりを、耳の高さと並ぶ位にむごたらしく剃り上げて終《しま》う。そこへ白粉《おしろい》をコテコテと塗るのであるが、大抵は斑《まだら》になった上に、キメが荒いから粟肌《とりはだ》が一面に出来ていて、首の方向を変えると白い皺《しわ》の波が出来る。そのきたないこと。殊に非道《ひど》いのになると、毎日剃らないせいか、黒い毛がプツプツと芽を吹いて、白粉《おしろい》とゴチャゴチャになって、二《ふ》タ眼と見られぬ醜態である。他人《ひと》のを見てもわかりそうなものだが、自分のは見えないから立派にしているつもりらしい。冬なぞは嘸《さぞ》寒いだろうと同情に堪えぬ。

     梳き毛ブラ下げ式と頬に描いたホツレ毛

 次に、梳き毛をブラ下げたのはあまり多くないようであるが、奇抜なだけに、見たと云う人はいくらもある。見ない人はタボ毛が抜け落ちたんだろうと云うが、決してそうでない。わざわざ瓢箪《ひょうたん》型や糸瓜《へちま》型にこしらえた梳き毛の固まりを、耳の前にブラブラと釣るして歩くので、ドンタクでもあまり見かけない新型である。記者も初め遠くから見た時は、大昔の美津良《みずら》式を復活させたものかと思ったが、近付いてよくよく見ると、髪毛とは全く別の感じを持った黒い固まりなので腹の皮が拗《よ》れた。しかも、本人、大澄ましだから豪気である。多分、外国の活動女優の舞台姿か何かを真似たものと思われるが、本人に訊《き》いて見る勇気を持たなかったのは遺憾であった。
 尚《なお》、参考のために書き添えておくが、現在の東京で中年以下の婦人の断髪は時々見かける。しかし前髪を切って縮
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